半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

火曜日, 11月 09, 2010

書くことのないページから見える心の声






このブログには書くことのないページが出来た。
不思議な時間である。
3年近く掛かって出来た何かがある。
本来は無いのである。
旧福浦灯台。
見るからに体験できない色鮮やかな空と海。
このシーンは偶然でもあるが、予想していた。
いつか見えるはずだと思い、待っていた。
心待ちにしていただけに、捉えた時は何とも言えない満足感がある。
この時ばかりは、現実だとは思えなかった。
有難いシーン。
いつ見ても能登半島の海は美しい。
それだけにいつもアンテナを張っている。
もうすべてが変わり始めている。
この夕焼けのように、奇麗な時間と心を映し出している。
暖かい心が宿るようで、満足な1日となった。
新しい時代がやってくるのだろう。
そうでなければこの時間は無い。
もう20年近く頑張って来たわけで、実現不可能だったはずだ。
涙では解決できない想いが有る。
この夕日のように、心も穏やかに最後は終わりたい思っている。
また出会えるだろうか。
運命はわからないから面白いが、思うことが来ない日々はどれだけ暗黒かわからない。
赤い夕陽が私の想いを、揺るがしてくれた。

日曜日, 9月 05, 2010

能登半島での日々と恩恵





こうしてたまの頂く食事ですが、本当に有難いものです。
いろんな事も人も、心から味わえる空間があります。
人はそれぞれの運命と生き方を捉えつつ、長い年月を歩んで行きます。
このブログももうかなりの年月書いて来ました。
終わるわけではないが、そろそろ次に向わなければならないようです。
今月にはブログを書き終えます。
能登半島に土に還る事は、今の私にはあまりに有難くも感謝の言葉を伝えようのない事となっております。
行き先はわかりませんが、本当に読者には申し訳ないのですが、そろそろとツタって行きます。
能登のためにすることは終わりません。
しかし、ここで締めるのもひとつの区切りの時期が来たということを書き留めて置きます。
能登半島に来て良かったし、これからも生きていけるように日々努力しようと思っています。
努力もここまで来ると、荒町小学校時代に今野先生に言われた事が、何やら気恥ずかしくも胸を張って、「努力している」そう言いたくてたまらない今が有ります。
馬鹿と思われましょうが、それでもいいのです。
そしてここも皆様のおかげで、静かに海の奥底に佇みます。
能登の土に還り、海となるのでしょうね。
感謝は尽きませんが、蓮の花に免じてお心ばかり許して頂きたいと思います。
笑って終わりたいですね。

いつまでも故郷が無かった、私には余りに余る程の感謝の念をここに残しておきます。

さようなら。

有難う始まりを一緒に手伝ってくれた人たち。

いろんな事がありましたが、不器用ですみません。

でも、この能登半島も人も好きなのです。

何の理由もありません。

生きている自分が居る以上、伝え続けて行きます。

「伏して語らず」

火曜日, 8月 31, 2010

志賀町福浦港 福浦祭り 猿田彦神社









猿田彦神社は、本当にいい勉強ときっかけになった。
様々事もあるが、どうしてもわからないことも経験することでわかり経験が何かを助けてくれる。
京都のようなそうでないような。
情緒。
鬼才なモノは行方知れず。
一体何がいいのか。
妥協点とは、ある意味対峙してこそ生れるものである。
悲しいことであるが、こうした時間の中に解決されるものがある。
近くに居ると見えなくなる事が多い。
それが人生であり、歩く道筋であると思う。
わからない人に、どうしたらわかってもらえるのか、悩むところだ。
何も考えない事も無い。
今来る瞬間に起きる事は、何が美しくて明るいのか。
なかなか分かってもらえないものです。
祭りはそうしたいささか日常の正当化出来ないものも、受け入れくれる。
能登半島のおかげで、能登のために考える。
きっとそのうちわかる時が来るだろう。

金曜日, 8月 27, 2010

吉田カバンと朧月夜 志賀町福浦港




吉田カバン。
頂いたのも感動でした。
やはり頂き物、贈り物は、何があっても嬉しいものです。
この五年間の中で、思い出になるシーンです。
生きているうちに、家族の有難味や存在があるとは思いませんでした。
振り切った想いと情けを、本当に心から思いなおしつつ頑張るしかないですね。
いつか共有出来る事が出来れば、どんなに幸せかわかりません。
人生とはイタズラといいますが、まさにその通りですね。
私なりにそのまま信じ進み生きることが、精一杯でした。
人と関わり受けた思いを、カタチにしてきましたが、今はそこそこ生きて来たので、ままやっと自分の気持ちや行動に重なり合っています。
なかなか人はそのことを自らが、腹心していたとは言うまでも無く、このカバンにはいる荷物より背負い込んだ人生でした。
夜に見る街灯は、私の気持ちと同じであり、その夜月はなんとも愛くるしい距離感があります。
能登半島で土に還る事が出来そうな今は、ほっとしています。
今までこんな穏やかな気持ちに過ごした事は、ありません。
日々戦争のように、生きることで必死でしたから。
能登のために、一生懸命努力する日は何とも云い難いですね。
このブログもそろそろ分岐点に来ました。
カバンと同じように、新しくするのがいいのかもしれません。
感謝感謝の今日に成りそうです。

火曜日, 8月 24, 2010

能登半島 料理である刺身根性の腕と味 志賀町






生れて初めて頂いた。
このあわびとさざえ。
とは言っても、この肝で出来たレシピ。
料理人の腕と知恵の結晶。
いろんなものがあるが似ても似つかぬことが、ひとつの事実でもある。
心してゆっくりといいモノづくりにいそしみたい。
新鮮と言うのもあるが、心で伝えてくれる何かが有ることは言うまでも無い。
しかし、変われば変わるものだ。
昨年までの紆余曲折。
何もないわけでもなく心して歩くことは、大変であった。
なんでもないようで、いろんな心をいうものだが、今の忙しさの中身は今までとは違う。
人は自分の責任を果たそうとはしない事が多い。
いくらいい付き合いをしていても、損得をすれば、必ず際立って自らに降りかかることが多く、どんな立場があっても後悔することになる。
私はいつもそう感じているからこそ、じっくりと今と言う事実と付き合う。
様々な事も受け継ぐ辛さに、何かを見つめ直し、足を見ながら生きようと思っている。
この切り身のように、刺したように切れなければいけないと思う。
本当に申し訳ないという思いが一杯でいる。
自分の人生で、これほど有難く申し訳なく思うことは、なかなかない。
寂しい人生であったが、生まれ落ちた家と言うものが、それを証明していた。
今は心の置ける位置が変わって来たように思う。
そう思うほど、この料理は美味しい。
舌ではなく、心で美味しいと感じているからだ。
こんな事がある人生は、二度とないと思っている。
能登半島に来てから、私の時間も生き方も変わって来た。
関わる人の違いもあるが、添えて来た一番近い人たちが、自分を理解し続けさせてくれる人達だからだ。
私もいつかこのように切り身を造れる作家になれれば、本望である。
時間は早いものだ。
夏もそろそろ終わる時期に成って来た。

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