半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

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日曜日, 5月 10, 2009

読売新聞にも掲載されました


本当に何が嬉しかったか。
この文章は、私が心から本心で思っているからこそ、書きにくいものでもありました。
自分では出来ない部分をこうやって、活字にして頂けると、感動する以外何もありません。
読売巨人が好きでいたのも、こうして見ると、よかったなんて思っちゃいます。
書いてくれる人によって、何もかもが変わっていますのも現実です。
昔島根県で、山陰新聞で社説を論説委員さんに書いてもらった時もそうでした。
命がけで頑張っている私にとって、お金よりも大切なのは、人の純真な心です。
毎日、当り前の自分でいることは、なかなか大変です。
今回、池上さんと話したおかげで、350年以上も生き続ける「のとキリシマツツジ」のこと。
それから、よく考えてみれば、350年続いている池上家。
まるで、昔付き合いのあった、十四代中里太郎ェ右門に似ているなぁと思いました。
この個展のおかげさまで、いろんな打診やお問い合わせも増えてきました。
能登に必要なのは、こういったお金ではない部分でもあり、世の中でも同じような気がいたします。
生活は、大変ですが、心が荒んでは何もなりません。
芸術家や作家は、無意味、無駄が本当に必要です。
そんなことをたくさんすることによって、何かを生み出す原動力ともなるのです。
なかなか簡単ではありませんが、この生き様をもう40年ほどしていると、何やらそれなりに様になってきたようでもあります。
繚乱しているツツジもいいですが、この池上さんの懐の深さを勉強して、頂きたいものです。
今のこの世の中に、無償で、自分の家にある奇麗な美しい花を咲かせている庭を、開放できる人間が、どれだけいましょうか?
私は、素晴らしい現実に出会いました。
ぜひ、この池上さんに会いに来て、そして「のとキリシマツツジ」がどうして、元気で居られるか?
長く生きることの大切さを、見に来てください。
お願いいたします。
きっと、池上さんは喜んでくれることでしょう。
能登の國人は、素晴らしい。

土曜日, 5月 09, 2009

北陸中日新聞掲載


昨日、朝刊に掲載されました。
皆様のお陰です。
有難うございました。

金曜日, 10月 24, 2008

輪島焼 読売新聞 北國新聞掲載


今回2社の新聞の方が来られて取材してくれました。
いろいろと今までの経過や流れ、歴史の話をしっかりと聞いてくれました。
読売の方も北國の方も、思慮深くとらえ方も非常に、爽快明快に書いていただき、感謝しております。
北國の方は、まだ若く入社間もないらしかったが、とても変わっていて、面白かった。
私は巨人が好きだったので、読売さんに対しては、正直ニコニコでしたが、書かれる中身の重みは、人に伝える部分として、うまく書いてもらったので、嬉しかった。
岡山にいたころは、取材もテレビや雑誌、リビング紙などたくさん書いていただいたりしたおかげで、いろんな評価がありました。
特に、一番嫌だったのは、取材した後に記事を潰されたりしたことも、結構ありました。
でも、記者さんが悪いわけでもなく、私という人間がどうしても人より目立ったり、業種的な人から気に入られなかったり、おべっかの使えない自分がいるので、どうしようもないこともあり、残念な結果になったこともありました。
しかし、私はそんなことなどにも臆せず突き進むのが、なんとも幸せなようで、頑張ってきました。
未来の子供たちのために、一生懸命していこうとすることが、なぜいけないのか私には、理解できないというか、わかりませんでした。
島根で学校と研究所を教えてきましたが、それは大変でしたが、今となれば作家が育ったり、窯元が出来たり、学校が大きくなったり、いろいろと成功させていました。
ただ、おもしろかったのが、学校の放送で「先生たちは職員室に御集り下さい」なんて流れたので、足早にいくと「東龍先生は、いいですよ」と退室を願われ、そうしたかと思うと県知事さんや国会議員など御偉方が来るときは、「先生悪いが、お相手してもらえないか」なんてことも、よくありました。
何しろ、時代を造る側に立った自分がいる以上、運命的な生き方をするのは、どうにも止められないものでした。
しかも、あることないこと言われるのも、どこに行っても変わりません。能登に来てもですが…
そうはいっても、時間は進み流れていますから、新しい価値感覚の創生に頑張っています。
今は、吉田隆さん、お米のまつもとさん、良ちゃん、翔くん、尾戸さん、公民館の橋本さん、里美さんなどなど、本当にいい人たちがいるわけで、何も恐れることもありません。
「出る杭は打たれる」とありますが、まさにその通りの生き方をしてきました。
高校時代まで、言語障害だったのも、それが原因でした。
人と違うし、みんなとは違う変ってる人間だったから・・・
今現在も変わりませんが…

読売新聞リンク先
北國新聞リンク先2008.6.6
朝日新聞リンク先2008.818

火曜日, 7月 01, 2008

大屋公民館 輪島市

そうして月曜の朝に朝刊を見ると、ちょこんと記事になっていました。

子供の雰囲気と会場の全体ではなく、一部ですが、きちっと撮れていたので、良かったです。

記事もしっかりと、わかりやすく書いていただきました。

ちょうど、中門博さんの盆栽達と陶片を前に子供達の雰囲気が良く取れていました。

輪島塗のムンクは、やっぱり繊細な感覚を自然なカタチにしていました。
西保小も元気に踊っていました。
大屋公民館は、建物も新しいですが、いろんな意味で能登の子供達の元気をお手伝いしていますね。
撤去にお邪魔したら、子供達がたくさんいて、叫び声やらでびっくりしたら、担当の稲本さんが放課後の児童クラブって話してくれました。
それを見ると、やっぱり頑張って行かないと思いました。
元気な輪島になっていって欲しいですね。

七月がついに始まりました。

金曜日, 6月 06, 2008

輪島焼としての出発 

■ 石川のニュース
◎「輪島焼」へ本格始動 岡山から移住の東龍さん
「輪島焼」の制作を本格的に始める東龍さん(左)と立野さん=輪島市三井町洲衛  岡山県で備前焼人間国宝の藤原雄氏に師事し、国内外で活躍してきた若手陶芸家、東龍(とうりゅう)知右門(ともうえもん)さん(41)が能登に移住して三年、満を持して今夏から独自の窯で「輪島焼」の制作を本格化させる。珠洲焼を研究した経験を基に「能登は陶土の宝庫」と語る東龍さんは「漆も使った新たな表現を探り、能登ブランドを世界へ発信したい」と意気込む。
 東龍さんは仙台市内の高校を卒業して約二十年間、備前焼の修業を積んだ。その後、韓国を中心に窯跡の研究発掘に携わったり、個展などを開き、英国のファッションブランドとの協働にも参加した。
 十五年ほど前から珠洲焼の研究も行い、その中で陶土の豊富さや輪島塗などの職人を生む風土に引かれ、能登を再出発の地に選んだ。七尾市に住みながら、かつて「須恵器」の焼成が盛んだった輪島市三井町洲衛(すえ)に住民の協力で工房を構え、穴水町に全地下式の窯づくりに取り掛かった。
 移住からの三年間は「能登の伝統文化や芸能を吸収する準備に充てた」といい、七月には窯を完成させ、初の窯入れを行う。同市で塗師屋、PR企画会社を営む立野良基さん(45)と連携し、焼き締めの器に漆塗りを施した創作にも励む予定だ。
 東龍さんは、かつて島根県で焼き物の産地化に取り組んだ経験を生かして陶芸指導も積極的に行っており、「能登のものづくりのすそ野を広げたい」と語っている。

北國新聞社 平成20年6月6日掲載インターネットおよび本紙

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