半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

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金曜日, 4月 16, 2010

のら猫  七太郎  穴水町







こうして、のら猫と一年半の生活。
お互い距離も何にもなく、未だに続いている。
でも、今年の冬は厳しかった。
雪も寒さも。
しかし、何か今年はどこかへ行くことがあるし、本当に帰って来ない。
私も出張が多く家を開けることも多く、きっと何かがあったと思う。
たまに帰ってきたり、ずっといるが落ち着かない様子で居なくなる。
もしかしたら、いい相手でも見つかったのかもしれない。
私もこの家にお世話になって一年半。
陶場は三年と少し。
でも、場所としては一年半近く。
すべてが回りまわってカタチを変えようとしている。
五年目。
結果はすべてと言いながら、今がある。
不便に慣れて来たが、寄る年波には勝てない。
いい事が起きるための何かの積み重ね。
そろそろ春がやって来た。
歩ける道も変わって来たし、どうにかゆっくり歩いていきたい。
能登半島が故郷になって来た。
庭の水仙が、明るくひっそりと黄色を出している。
暖かい心になれるのも、こうした生きた自然があるからだろう。
いつかきっと。
そう思って来たから、今が楽しいのかもしれない。
頑張れるだけ、頑張り。
動けるだけ、動く。
能登のために、何かが出来るかもしれない。



月曜日, 3月 08, 2010

生きる能登の土と還る土





実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

実際、長年行く先にいろんなパズルがあった。

組み合わせは自由だが、自分自身で組んでいなかったのである。

おかしいと思われるが、それも生きる中の杖であり、仕方のないことであった。

自分としては不本意なことも多く、関わる人のおかげで大きな荷物になった。

こうして歩んでくると、法律という世界も民間と言う慣例も、何か変わりつつ次世代になっている。

しかし、大方の人間は昔の迷走を追いかけ、満悦した気分になっているのかもしれない。

それに気づくことはないだろう。

時代がそうさせていくのであるから、どうにもならない。

私がこうして歩んでいることも、見ている人にとって、害もあるようだ。

しかし、自由な社会がこうして出来上がっている中に、自分の存在価値はあるのだろうか?

そんな単純なことを、どうしても思う。

私なりに疑問を持ち、解消するように来ているが、なかなかそれに耐えれるような人もいない。

不思議とここまで生きてくると、生き方も良くなってくるものです。

自分の成長が無い人も、どうかそうなってほしいですね。

誰が何かをするのでもなく、そのままありのままをきちんと見ていれば、何かがわかるのではないでしょうか?

そうしてここまでこれたのも、きっとその人という素晴らしい感情豊かな人たちのおかげなのです。

認めるのでもなく、わかり合えることが、何より大切です。

いいモノを作り、残せるだけで十分です。

長く生きれれば、それはまさにおまけなのかもしれないですね。

愛する能登半島は、こうして日々私に何かを教えてくれています。

どんな時でも、能登にいる。



月曜日, 2月 08, 2010

能登半島に来て4年がすぎ、春で・・・ 輪島市












あっという間の4年間。

いろんな人にお世話になりながら、なんとかよちよち歩きで来たような気もいたします。

お米のまつもとさんには、平成18年の夏ごろからお世話になり、早3年半。

気が付くと、立派な陶場も窯場もお貸し頂き、感謝の念に堪えません。

でも、なかなか伝わらないのが、自分の活動と現実かな…

今まで岡山に居た時は、なかなか自分の行動と制作のバランスが難しかったのですが、この能登半島に来てからは、いい意味でマイペースに過ごし、みなさんのお怒りもご理解も頂きながら制作して来ました。

いろんな事もあり、厄年?

でも、やっぱり自分の選択ミスが原因も多いので、何とも言えません。

すぐ信じてしまうのが、私の悪いところですね。

しかし、焼物や芸術の極みをしようと思えば、利口になったり、ずるくなったりすることは到底出来ません。
過去にいろんな事もあり、心情極まりないこともありますが、歩く道に間違いは無かったと思います。

人のいろんな思いや行動、そして理念、宗教、思想。

すべて違うわけで、言いたいことを言って来た自分に取って、今何も言わずに寡黙でもないが生きていることも珍しいかもしれない。

以心伝心とは言うが、果たして本当にそうだろうか?

などど思い、言うこと言い、やることをやり、思うことを思い、人と共存して行こうと言うわがままな事が原因で、たくさんの事も起きて来た。
でも、人にはそれを言葉で言っても伝わらない。
しかし、言わずしても伝わらない。

では、どうするのか?

そう、この能登半島の自然が教えてくれた。

「あるがまま、なすがままに耐え続け、自らを徹する。」

簡単に言うと、「努力」

でも、なかなかそうそう言っても継続性としては難しいかもしれない。

人間として何もかも完璧でもないのであるから・・・

時間が立つのは早いが、ここまで来れた事に関わった人に感謝しています。

今の厳しい自然の中に、自分の身をゆだねているのは、最高に大変だが、いい事なのかもしれない。

シンプルに、能登のために頑張ろうと思うから・・・

今が今と言う後悔のない生き様でありたい。




木曜日, 4月 23, 2009

柳田村から穴水







まだ、桜は咲いています。
ひっそりと清閑な海。
ほっと、一息つくことで、時間を忘れます。
能登半島の一日は、ひっそりと穏やかでもあります。
どこにいっても深呼吸したくなります。




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