猿田彦神社は、本当にいい勉強ときっかけになった。
様々事もあるが、どうしてもわからないことも経験することでわかり経験が何かを助けてくれる。
京都のようなそうでないような。
情緒。
鬼才なモノは行方知れず。
一体何がいいのか。
妥協点とは、ある意味対峙してこそ生れるものである。
悲しいことであるが、こうした時間の中に解決されるものがある。
近くに居ると見えなくなる事が多い。
それが人生であり、歩く道筋であると思う。
わからない人に、どうしたらわかってもらえるのか、悩むところだ。
何も考えない事も無い。
今来る瞬間に起きる事は、何が美しくて明るいのか。
なかなか分かってもらえないものです。
祭りはそうしたいささか日常の正当化出来ないものも、受け入れくれる。
能登半島のおかげで、能登のために考える。
きっとそのうちわかる時が来るだろう。
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