半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

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水曜日, 10月 21, 2009

全地下式 ゼロの焦点とは…  穴水町





本当にこの窯は、難しいのであります。
普通に考えも、焚くのは無理。
ましてや千二百度というのも、きつい。
そして、焚いても点数が入らない。
歩止まり悪し。
時間がかかる。
割り木の消費が激しい。
気圧に影響を受けやすい。
とにかく、窯での諸悪の根源の塊なのです。
昨年は、追い込まれてしまい、少々自分らしさを失いそうになりましたが、今回はしっかりとゼロ勾配、全地下、点数などを、様々にポジションをとらえました。
絶対に負けたくない状況でもあったので…
でも、寝ずに百時間以上通したおかげで、光が見えました。
誰もいない。
しかし、加茂田章二などがとらわれていった世界観も何かに影も見えた。
私なりの作品の方向も、出来あがった。

ほとんど、酒の切れない日々。
悩むのではなく、いつものように窯に任せて行くという、簡単で最大に精神的な世界を、淘汰した。
島根県で二週間二か所を同時に焚いた時より、ずっと集中し、心を落ち着け、逃げずに焚いた。

窯は、私を待っていた。
私も、窯を待っていた。
相思相愛なのである。

これから、もっと面白い作品が、焼け上がるだろう。
だからこそ、寡黙になり、何を言われても、自らの運命を信じ頑張って来たのであるから・・・

いい窯が出たら、応援してくれている人たちに見てもらいたいものである。

能登からやっと自分の作品が、歩きだせるようになりそうである。


日曜日, 10月 19, 2008

窯場 



窯の様子です。
これは、焚いている時の様子です。
間伐材、製剤所の端きれを使っています。
90%は、これだけで昇温しました。
なかなか大変ですが、これも循環する一つの考えで、島根の時からやってきました。
ここは、アテなどの木が多いので、すこし上げるのはきつい時もありますが、それでも今の私にとっては貴重な素材です。
能登に来てから、割り木の方もいろいろと段取りしてきましたが、赤松も一応変えるようなところもあります。
それは、珠洲の方からです。浜野さんという人がしています。
おかげさまで、今回は100束仕入れました。
焼け具合は、まだわかりませんがどちらにしても、赤松を焚いたので、なんとかいつものカタチに近いようになったはずです。
やはり、このように条件状況も一番大事ですから、きちんと頑張らないといけません。
甘えると甘えた結果になるものなので。
尾戸さんという椿崎に住んでおられるご夫妻がいらしたおかげで、この窯焚きの画像もアップできました。
メールでこちらにお送りいただき、今回載せていただきました。
やっぱり、人に撮っていただくとなんか、嬉し恥ずかしの気分になりますね。
でも、窯出しがとても気になるところです。
窯は、じっと眠るように静かに開けられる瞬間を待っています。
何があっても、夢と現実の融合の時間であります。
能登で少しづつカタチにしていこうと思っていましたが、多少計画変更になったのは、仕方ないと思っています。
自分らしくそのままありのまま、ただただしたいようにすること。
尾戸さんありがとうございました。

土曜日, 10月 18, 2008

窯焚き



全地下式で焼くのは、結構大変だった。
今迄の経験は、役には立ったが、いかんせん一人というのが問題だった。
だが、今回は良ちゃん、翔くんが来てくれたり、なんとか頑張れた。
ただ、私は1週間まともに寝なかったので、きつかった。
周りは、いろいろと外野の誹謗が多く、腹は立ったが相手をしても仕方がないと思い、信念をまっとうした。
私には、総合的な芸術というかすべての表現をしたり、いろんな夢のある現実を作ることが出来るわけで、なにも土壌のない状態ではないのである。
人は、それをわからないので何んとも言い難いが、今お世話になっている人たちのおかげで今日何んとか能登で頑張れている。
感謝するしかなし、今までの歴史を知らないにもかかわらず、一生懸命してくださっていることは、ありがたいとしか言えない。
時間は、三年過ぎました。
少しづついろいろと形になってきました。
自分の作品は、カタチに現れて来ている。

土曜日, 8月 09, 2008

煙道

基本的に、煙道は正面の窯の焚口からの計算で出来る

煙突の口径もそうなのだが、今回はダンパーなしで計算していたが、予想を上回って引きが止まってしまった

途中、やり変えて引きも流れもよくなった

そのお陰で、煙道近辺がよく焼けていた

一応、そう思って窯詰めしたが、そこは計算通りだった

窯はいる点数は、本当にかなり少ないので、一点集中に持っていかないといけない

これから、回数多く焚くか確実に焚いていくかは、製作にあわせていきたい

年末の個展に向けて、造る基本的なスタンスは決めたが、仕上げの具合では果たして間に合うかなとも思っている

そうして、考えてみると、今回は悪いのでもなく、それなりの結果で終わったのである

私が、27歳のときに焚いた窯のことを思えば、そう悩むことでもないのである

高木義明さんが持っている作品には、その一端がある

インディゴデザインスタジオのブログには、ちょこっと画像にアップされている

さて、山に土を取りに行ったり、これから忙しく半島を歩き回り、馳走しようか。

御馳走になるよう、頑張っていこうか

相変わらず、能登の土を探し駆け巡る秋になりそうだ


金曜日, 8月 08, 2008

半陶 窯出し


やっと焚いて出した窯

一点一点にいろんな表情が埋もれていた

やはり、窯の壁は、土であるがため、ほとんど崩れていた

途中、かなり悩んで窯の火を止めたのだが、開けてみてやっぱりそれがベストには違いなかったと確信した

当然はじめから、安全に窯を出すようにすれば良いのだろうが、私は今までにないことをしたかったことがあったので、今回は究極の吾がままで仕事をしてみた

窯跡をいろんなところに行って、陶片を見る度に、昔の人は、きっと窯焚きやいろんな条件が大変だっただろうと他人事のように思っていたが、実際に自分に降りかかってきたこの結果は、黒い雨が滴り落ちてきて、傘を差すしかないのだが、差す傘がなかったようなものだった


しかし、作品の焼け具合としては、韓国慶州の新羅土器、利川近郊のオンギに似た感じになっていた

陶土自体は、問題がない

窯詰めは、改善をしないといけない

最大は、やっぱり窯の壁の問題が一番である

そして勾配がゼロに対してどのような作品を造ってくかが、今後の課題になった


ただ、焼けてきた作品は今までにない丹精で落ち着きのある風合いに仕上がった

以前、評論家の柳生尚志先生に頂いた言葉を思い出した

「東龍君は、草莽な陶工だから、どんなことでもいい結果として頑張ってもらいたい」

私は、やっとそ草莽になれたんだと実感しました

能登より初めての窯出しは、厳しくも暖かいくも陶工、作家としてではなく、東龍という人として、新たな無よりの創造する人ととしての出発になりました

これから、秋に向かって作品を造り、年末には個展をするように考えています

家に帰ってから、気に入った作品の中で持ち帰った一本の鶴首の花入に華を活けてみました

一輪の花は、すっーとして、両手よりも大きく咲き華やいで大きくゆらゆらと風もないのに揺れていました

数少ない作品だが、私にとって貴重で大事なものであることには変わりない

私の焼物人生として、半島能登の人間としての第一歩は、進みだした

木曜日, 7月 31, 2008

窯焚き








ずっと世間から遠ざかったお陰で、ブログも打てなかった。



全地下式穴窯は、よく考えてみると初めて焚いたのに、途中で気がついた。

どうもいつものパターンで火が伸びていかないのと、やっぱり欲張った結果も付いて来て、結局予想していたものも付いて来て、大変になった。

でも、今までの経験を活かし、なんとか最終に近い形で終わることが出来た。

どうして、かというと。

つまりは、本当に昔の窯のように作ってしまったので、壁が落ちてきたので、いつも上げている1300℃まで行くと、窯が崩壊するような感じだったので、多少もうちょっとと思うが、欲張らずに次にまわすことにした。

いろんな状況の中で、窯を焚いたが、吉幾三の歌のような電気もねぇ、水道ねえ、屋根がねぇ、交代ねぇやらで、いろいろと苦労しました。

交代もいなかったが、山良さんがお手伝いできたり、吉田翔くんも来たり、少しは寝れました。

それに、たくさんの差し入れやらご来客は感謝申し上げます。

とにかくまあ、3日起きてたのには気力がいったかな。

ないないづくしの割には、引き出してみたビアマグが、珠洲焼のような洲衛焼のような、新羅土器か、そんな感じだった。

さて、窯出しが期待通りかといった感がある。

おそらくとも思うっているし・・・

でも、今までにない恐怖と期待。

そして、能登第一歩として、再起をかけた3年ぶりの私の仕事、作家としてのカタチ、何もかもがついて来る結果なので、プレッシャーは半端じゃない。

出来て当たり前。

ただ、私の中で一番良かったのは、この窯なら、かなり焚いて行けるというのが、わかったので、思いっきり造って焼こうと思えたこと。

なにもかもが、素晴らしい。

窯を焚いていて、能登の夜空を眺めていたが、本当に能登の大地で窯の炎が揺らいでいるのを、キリコで人が踊っている光景のように見えたのは、幻想ふだったのだろうか。

能登には、人の心や技がある。

私は、これから長くその卓越した半島人となれるよう努力して生きていこうと思っている。

それは、ここに来ると決めたときからまったく揺るがず変わらないのである。








音には、何か感じれるものがあります。そして、映像には事実がある。
でも、このシーンからなぜか臭いや雰囲気、息遣いまでが、見えてくる。

人間の感性は、何よりも素晴らしいし、この能登を来なくても、何気なく伝えれるならと思ってアップしています。

そんな事言っても、やっぱり来ないと駄目ですよね。

ちなみに、そろそろ友人の一人が能登にやってきます。

日曜日, 7月 27, 2008

窯火入れ 





やっと、火が入った。


なかなか時を考えての窯。


結果は、もう出ているような気がする。


さて、今日寝ずの晩。


いい感じで温度は上がっている。


土曜日, 7月 26, 2008

窯詰め 




さて、窯詰め。
でしなに、一米に支払いにお伺いしたら、タオルを一本頂いた。
なんとなく、ちょっとした親切だったが、有難かった。
窯詰めの写真は、アップできません。
それは、来た人だけにしか見れませんので、お願いいます。
さて、初めてではないが、ちょっと今までとやり方を変えてみた。
以前の経験ではなく、あくまでも初めてというもので考えた。
点数は、思ったより入らなかったし、まあそれでも慾な感じになった。
久しぶりだし、仕方ないなかな。
ただし、終盤に結構大変と思う。
交代の人数が、ゼロのような感じなので、今回はどうにもならない。
すべてが、準備不足。
昔だったら考えられない状態です。
そこは、なんとかなるかな。っと思っている。
やっと、今日、能登に火が入る。
私自身も、やっと普段の土を焼く人間に戻れる瞬間が来た。
能登のキリコとは違う、神任せの炎が舞い踊ろうとしている。

木曜日, 7月 24, 2008

窯 屋根 完成





梅雨も終わった頃ですが、屋根が完成しました。

今週には、なんとか窯を焚けるようになりました。

お米のまつもとさん、能登町の川端さん、小酒さん、良ちゃんのお陰で、こんな立派な屋根が出来上がりました。

完成度も高いのですが、言葉にはならないものが私の中にあります。

能登に来て、次々起きる出来事に頭を抱えていた日々が、まるで嘘のようです。

すべて、自分ではない自分のカタチに追われることが多く、今はやっと自分の思えるような動きに変わってきました。

まだまだ、いろいろとやることはありますが、とにかくひとつひとつ積み重ねるしかないのが、現実です。

本当にいい窯場が出来ました。
そして、少しづつ組み立てて行こうと思っています。

備前はカタチではなく、お腹にしまいつつ、能登の大地の土を焼き上げて行くのに、変更はありません。

暑い日に大変な棟上から完成まででした。

日曜日, 7月 20, 2008

窯 嘶きの声 穴水町




窯の屋根を上げる段取りをしている。

お米のまつもとさんに怒られながら、やっとのことで準備できました。

山ほどあった木も片付けて、耐火レンガも雨よけしたり、単管での作業待ちです。

なんとも忙しい状況での棟上げです。

でも、材料費も原油高のお陰で跳ね上がっているし、痛い出費でした。

いろんな知恵とタイミングが重要です。

さて、いよいよ窯に精気が吹きこみ蘇るときが近づいています。

金曜日, 1月 11, 2008

割り木



能登の山々は、とても素晴らしい割り木がある。

寒さ耐え、風雪を凌ぎ、とてもよく締まっている。

昨年末に、能登町で切ったものを運んだ。

一本が重たい。

確かに、大きさも大きさなのだが、結構大変である。

トラックで一日かけて作業した。

これが、これから窯で焼かれると思うと夜も寝られない。

全体の焼く本数や量、期間などが読めないので、多少多めに用意しないと心配である。

以前、備前などでは2000束以上、ガス10本、12日間昼夜兼行でした。

もう、何百回焚いたか判らないが、本当にしんどい作業である。

一考あって、窯焚きを遅らせているが、それは準備をきちんとして向かおうとしているのである。

何があるかわからない。

それは、窯に任せて焚く私としては、何回経験しても簡単には思えない。

それまでは、能登の材料をしっかりと集めたり、人々との時間を大切にして行きたい。

半農半陶は、どこにも生きている。

火曜日, 10月 02, 2007

焼けるとは



焼物の中で一番肝心なのが、造る事より焼く事である。

いくら作れても焼けなければどうにもならない。

それぞれの土の焼成温度によっても違うのだが、耐火度というものが非常に大事である。

陶土にも、鉄分も多く含まれていることや、鉱物などの含有率、可塑性などなどとても簡単であり、かついい加減である。

何がいい加減かというと、陶土はそれぞれの形を持っているから、きちんとある程度焼けることが出来れば、千差万別に才能を発揮する。

これは、最大限に焼けるところと最小限に焼けるところが面白い。

焼くという事は、本当に人間を育てるというか育っていく過程に似ている。

ましてや窯焚き最終段階においては、本当に集中力と精神力で乗り切らないと難しい。

なにしろ、中の作品が光具合と窯の嘶きを聞き、煙など総合的に判断し、感覚の赴くままにタイミングを見計らっていく事が、重要である。

韓国に行ったときに、幾度と無く大変だったのが「固定概念」である。

こうしたいと思っても、「いや教科書には・・・」なんて言われたり、ある方法をすると「それは、間違いじゃないか・・・」などど、よく言われたものだ。

だがしかし、窯出しを迎えると、一様にして「いい焼けですね」となる。

やっぱり、方法論や勉強家達にとって、私の方法は異端に感じられた事は言うまでも無い。

まあ、そのナントカ論をやる訳ではないが、やる事によって一つの方法論は出来上がるのかもしれない。

今、私の窯場にある能登の陶土は、その焼ける事を待っているに違いない。

土曜日, 4月 14, 2007

焦熱明け



なんとか、病床から起き上がれた。
まあ、今回は本当にひどかった。
地震やら、インフルエンザ。
時間が許すかぎり次の作品のために構想をイメージしてることが多くいい時間を貰ったような気がする。
一昨日、再び河ヶ谷窯跡に行った。
たまたま田んぼをしていた初老のご夫婦に出会うことが出来た。
偶然だが、窯跡の目の前なので私はいろいろと話をした。

ここは、昔からミソヤ窯といい伝えがあったらしい。
これこそが珠洲やなんかよくわからない時代からずっとらしい。
まさに、口ぞえ。
それで、昔区画整理のときにたくさんの窯跡が出てきたが何も関係無しに壊したらしく。
かなりの窯が合ったと言っていた。
それに対して今回予算が付いたので、この発掘調査らしい。
だが、もっとあるらしいがやはりお金がもう出ないらしく今後の延期になったという。

ここで、歴史で見ていくとやはり韓国の匂いは消せないだろう。
海流に乗ってくるとここに自然と流れ着くという話だ。
まさに、高麗青磁の康津と良く似ている。
中国の竜泉窯の陶工が出てきたように、たぶんそうだろう。
なんか、本当に地球のサイズで起きている文化流は面白い。
同じことをしているのに、総てが一緒の感がある。
痛快に何千年人間がしていても、原則論は普遍である。
そのようにしていくと、大阪の陶邑とか神戸の神出なんかそうだろう。
いろいろとタイムラグはあるが、出来ているプロセスは良く似ている。
まさに、日本とか韓国の流通の歴史。
でも、仏教を中心に成り立っているので、なにも変わらない。
広めるための手段でもあり、象徴でもある。
大阪の陶邑は本当に勉強になった。
国が絡んでいたのもあったが、調査資料の膨大な量には大変驚いた。
これは、私が長年研究してきたので、できればいつか発表したいとおもっている。
このことは、歴史上も必要だが今後の芸術観にはとても需要である。
これからブログはそんなことも含めたことを書いていこうと思う。

焦熱地獄からの復活である。
本当にきつかった。

日曜日, 4月 08, 2007

復興の軌跡


なんとなく、最近輪島の仮設住宅の話題が良く耳にしている。
何か出来るわけでもないが、自分なりに出来ることは何かと考えている。
たまに、町の人から聞こえてくることは、前向きではない話が多い。
これは、どうしても仕方の無いことなのだろう。
就職難。
収入が少ない。
さまざまに暗い。
なんとかしたいとも思う。
私なりに行動できることをしていくことを考えた。
何が必要なのか。
来週から、準備してみます。
このところブログが書けなかったのは少々熱が出ていたわけです。

水曜日, 4月 04, 2007

一日過ぎて



朝から窯の周りの片付け。
昨晩焼き終えた窯は、まだまだ燃えていた。
スクモを掛けたのでなかなか冷めない。
いい感じで燃え残っていた。
窯の奥のほうも結構良く焼けているようで、とてもホッとした。
それから、家出片づけをしました。
一体どのくらいで、落ち着くか検討がつかない。
まあ、一週間はどうかと思う。
壁の補修も要りそうである。
通常とは違い痛みも激しいし、だがそれが必要でもある。
放射効果が期待できるからだ。
むかしはそんな計算が自然と出来ていたように思える。
疲れもそこそこなので、一日宇多田ヒカルを聞いていた。
BLUE。
長い時間しっかりとなっている。
くしゃみが今日は良く出るし、鼻水も。
たぶん、黄砂。
中国から来ている。
もう、かなりの振込みで空は黄色。
激しかったので、今日はひどい。
最近インフルエンザも流行っているし。
そんな状況もあり、本を読んだり、調べものしたり。
今になって、珠洲焼、洲衛焼の関連をきちんと抑えている。
じゃないと、焼締の歴史を語ることは出来ないからだ。
さて、今日は休もうかな。

月曜日, 4月 02, 2007

穴窯の嘶き






晴天。


青空とまではいかないが、いい感じである。


一生懸命に頑張った結果を出したい。


そうしていると、山良さんから地震で出た廃材があるから、取りに来ないかと言ってくださったので、よろこんでトラックを回した。


TOYOTAの船本さんも居られた。


それから、たくさんの廃材をたくさん積んで窯に向かった。


なかなかの量なので大変積むのに苦労しました。


道中いろんな話をしました。


釣り。


これがまた、二人とも名人の領域なのでとても面白かった。


私は、下手の横好きなのでいつかつれて貰おうとお願いしました。


山に着くと、三人がかりで下した。


昼を回ったぐらいだったので、先負の時間に火を入れました。


般若心経を上げました。


心して火を入れました。


火をともして、暫らくしてかなりの勢いで引き出しました。


ゴロンボをたくさんくべました。


なかなかいい感じで炎が走り出したので、船本さんにお願いして山量さんと再び廃材を頂に行きました。


夜になり、かなりの量を焚きました。


夕方に、二人とも帰りました。


本当に助かりました。


船本さんはなかなかのセンスがあるので、今後お願いしたいと考えている。


窯の前にいると、今までのいろんなことが思い起こされ、時間の立つ感覚がとてもしんみりとしました。


一年経つ今に、こうして窯の前に入れたことを感謝せずにはおれませんでした。


本当に長い時間情熱を燃やし続けてきた。


夢だけを追い続け、情熱をたゆまなく燃やし続けてきた。


窯はゴォーと引き、満月が申し訳なさそうに照らしてくれました。


後ろからもいい感じで炎がでる。


いい予感だ。


中の構造を少し変更していよいよ出来ると実感があった。


洲衛焼に近い感じになった。


この地方独特の匂い。


これこそ、焼締が焼けそうである。


早く早く焼きたい。


中も陶土のままなのですが、これまた自然ないい様相です。


なかに作品を入れて焼きたい。


九時過ぎて窯のふたをして止めた。


もう、いい加減1000℃以上になっていたので、止めた。


さて、安心。


今日はゆっくり眠りろうと思う。




日曜日, 4月 01, 2007

準備


明日空焚きしようと準備。

ひとつひとつ固めている。

割り木とかゴロンボ。

久し振りなので、なんか気恥ずかしい。

いつもは、大胆にしていたが、今回はなんとなく。

緊張。

嬉しいし、悲しい。

とても、いろんな感情が湧いてくる。

土。

水。

風。

炎。

空。

なにもかもが必要である。

今まで焚いていた条件とは初めてなので、とても不安なような。

でも、やっぱり。

ああ、早く焼いていきたい。

その思いは誰よりも深くて、熱い。

今日は、そんな感情を抑えながら準備していった。

頑張ろう。


早く寝ないと明日になってしまう。

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