半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

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木曜日, 6月 17, 2010






奥能登の塩。
技術も大事だが、浜士登谷さんの心も凄い。
長年のこだわりもあるが、どうしても継承というところとは違う奥能登に対する気持ちがある。
融通の効かないと言われることも、職人は多いのだが、それはそれで理屈抜きに通したい気持ちもある。
それは、私もそう思って来た。
目の前の何かを思うことが、この先にも必要なのであるから。
誰にも言えない大事な部分もある。
だからこそ、こうして塩ひとつにかけた思いもある。
なかなか出来ないことでもあるし、観光に生産など多様に要求されるところを処理するのは、大抵なことではない。
しかし、奥能登に揚げ浜塩を残していくためには、どうしてもその面倒くさい事をして行かなければならない。
一握の塩は、本当にいろんな運命を持っている。

私も使い慣れて来たとしても、そんなにたやすいことでもない。
生産が大事であるが、代々受け継がせるには余りにも過酷な条件が奥能登にはある。
若い人が生産力に必要な事は、誰もが知っている。
なんとかしなければならない。
そして、未来の揚げ浜塩を残すためにも。。

金曜日, 1月 22, 2010

国会図書館  永田町


国会図書館蔵書もたくさんあるが、キーワードでいろんなモノがわかる。

この中にある資料に、揚げ浜塩があった。

面白いモノも見つけた。

何かがひとつづつ必要であって、いらないモノは無い。

揚げ浜塩の歴史観に確証を得るために、蔵書をあ漁る。

見つかった資料は、ダイヤモンド。

無駄は無駄ではなく。

日々精進。


木曜日, 1月 21, 2010

奥能登の歴史観で一番は、揚げ浜製塩  珠洲市


昭和27年ごろの撮影のモノです。
どれを見ても、今には考えられない映像ですね。
でも、技術や思いや生活など、いろんな奥能登の深い歴史やファンタジアが隠されています。
掘り起こすことは容易ではありませんが、今の時代に伝え残し展開を図ることが、この能登半島には託されているような気がいたします。
心の貧しい時代に必要なのは、こんな仕事に介在するひた向きな心や情熱ではないでしょうか?
ひとつひとつに法則が存在し、商業として成り立っています。
生きること、造ること、残すこと。
やはり、いいモノを作り消費者に動かせないモノづくりが問われる時代です。
製造方法、管理、企画、デザイン、イメージ。
様々なモノがスパイラルし、ひとつの際立ったいいモノになるのかもしれません。
売れていくモノづくりの時代に、何が必要か?
この中にそのヒントも結論もあります。
アフリカ的要素が、この能登半島にあるんですよね。
だから、シャーマニズムも光も、そう気多大社の白鷺とか・・・
能登半島は、塩、米、水。
原点は、体の組成に関係しているものかもしれないです。
無くなりましたが、生前お付き合いのあった政木和三博士と話したことを、最近思いだすことがあります。

揚げ浜製塩


日曜日, 4月 19, 2009

塩田作業





天気もよく塩田村では、作業が行われてる様子です。
登谷さんは、浜士として、本当に辛くてキツイ仕事をしています。
季節も、半年のみ。
やっぱり、能登の國人はこんな大変なことも何気ない顔をして、日々こなしています。
ここの塩は、いい塩。そして、様々な料理に使えます。
だからこそ、なんとかしなといけない状況があります。


水曜日, 3月 11, 2009

揚げ浜の作業風景



浜士の登谷さんが頑張って寒い中作業しています。
やっぱり、少しづつ一生懸命している姿は、とても有り難く感じます。
そうして、春が来ると再び塩を作る作業に入ります。
一年中でいる塩ではないので、手間暇も時間もお天気も、すべてが揃うことで出来上がります。
薪もこうやって、手作業で薪割りをしています。

火曜日, 2月 24, 2009

揚げ浜塩田の冬




寒い冬の中浜士の登谷さんが、一生懸命割り木を作っていました。こんなにキツイ風の中、ご苦労なことです。塩田村は、今年会社になります。今までとは少し形態も変わり、私はマネージメントや企画などをする予定です。揚げ浜塩は、本当にいい素材です。体にいいのは、当然ですが、旨みが違う。パスタゆでても、おにぎりなんか、もろに味が違う。とにかく、悪いとこなしなので、食べてほしいです。


火曜日, 1月 20, 2009

揚げ浜の釜 奥能登塩田村 珠洲市






揚げ浜式の釜を焚いている風景である。

この時期は、注文による炊きあげのようですが、とても心温まる時間があります。

外は、暴風雨の天気ですが、釜を焚いているこの釜屋に入ると、不思議と静かな空間が生まれます。

釜を焚く松割り木の音。

静かに耳を澄まして見ると、釜の中でコトコト炊ける塩の音、そして奥能登の海のなんとも言えない香りが匂ってきます。

工程の中で作られていますが、この時期にここを訪れると本当に奥能登でモノが生まれてくる瞬間が、とても貴重な波長を感じることができます。

揚げ浜式の塩は、時間をかけて、ゆっくりと作り、厳しい自然に耐え出来あがってきます。
昨今言われている偽装とか、いろんなそういう関係のものとは、縁遠いモノ造に対する心がこの奥能登では、当たり前でもあります。

塩の研究は、もう27歳の時よりしてきました。
なぜかと言えば、焼物にもそうですが、必要でもあるからです。

静かに奥能登の音を聞いてください。


木曜日, 1月 08, 2009

揚げ浜式をロッテリアが採用 珠洲市


昨日の朝刊にいい記事が出ていた。
ロッテリアが、奥能登の素材でもある揚げ浜塩を採用とでていた。
最近、偽装や事故米など、さまざまに食の根源でもある、原点的要素がうたわれている中、まさにいい出来事でもある。
奥能登の素材は、どうしても宣伝や周知活動が少ないだけに、なかなか拡がっていないのも事実である。
こうやって、見てみると、そんな大企業の担当者は能登に目を向けているようだ。
なぜなら、能登ミルクの堀川さんのところにもあるコンビニkぁら打診が来たそうだ。
ただし、丁重にお断りしたらしい。
中身までは書けませんが、ある新年あってのことです。
でも、少しづつ能登のモノが拡がっている足音が聞こえてきている。
今年は、そんな年の始まりになる第一回目のアプローズでもある。
新年、楽しみな初七日目ですね。



火曜日, 1月 06, 2009

奥能登塩田村の正月  珠洲市 





すず塩田村の正月風景です。
正月も関係ないしn年中無休です。
ただし、外は能登の景色がすごく激動ないい風景ですが、ちょっと普通の人はびっくりするような感じです。
私も、シャッターを何度か切りましたが、飛ばされそうな感じでした。

ここの揚げ浜式の塩は、本当にきちんとした製法によるもので、なんらいい加減な方法ではありません。
全然関係ないですが、販売コーナーにある塩羊羹は最高に美味しいです。
いつも受付の人も、元気なので、たまに勉強に来ると面白い場所です。

塩づくりは人間の体に必要な塩なので、いいモノを食べていかないといけないし、そんな食材にめぐりあわないといけません。
さて、こうやって日々くるのは、理由があります。
私の研究は、焼物なのですが、たまたまそのことにすべてがスパイラルしています。
原点を見つけることによって、なにかツクルものに反映してきます。
乗り越えれないものもないが、乗り越える怖さは何か人間の中で、純粋さを壊すような気がするのでしょう。


荒井由美のひこうき雲。
能登に来てやっとこの歌が聞こえてきました。
だからこそ、私が大事な人にささげたいと思う曲です。








白い坂道が 空まで続いていた
 ゆらゆらかげろうが あの子を包む
 誰も気づかず ただひとりhikouki.jpg
 あの子は 昇っていく
 何もおそれない そして舞い上がる

 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲  

 高いあの窓で あの子は死ぬ前も
 空を見ていたの 今はわからない
 ほかの人には わからない
 あまりにも 若すぎたと
 ただ思うだけ けれどしあわせ

 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲
 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲

火曜日, 7月 15, 2008

塩田村 アメリカ学生体験学習(PTP石川プログラム)


横道館長より塩田の歴史などの説明の様子です。


登谷さんや坂さんなどが、塩田作業の方法や様々な条件などを熱っぽく説明されていました。


この学生もそうだが、重たい桶の海水を2回も汲みに来た学生が結構いました。


海水を蒔くのはみんな四苦八苦していることが、多かった。


下の写真は、濃度の濃い塩田水が釜で炊き上がる直前の様子です。

結構、暑いし蒔きの長けるいい香りがしています。


御覧のように、アメリカの中学生が体験学習に来訪した。(PTPとはPeople to People Student Ambassador Programの省略、アメリカの中学生を受け入れるプログラムの総称)

館長の横道さんに頼まれて、喜んでお手伝いに来ました。

通訳の人はいるらしいが、目の届かないところをお願いされてだ。

私が話せるのは、標準語、宮城弁、岡山弁、石川弁、英語弁、韓国弁などなので、なんとか水汲みに参加したり、塩田に塩水を蒔く時などにお世話が出来ました。

今回、このような形は珍しいらしく地元の人たちも一生懸命お手伝いされていた。

同行の通訳の人も、なかなかいい英語を話されていたので、久しぶりに感心しました。

昔、弟子時代に一応話せる範囲だけだが、よく外国の人を案内した。オーストリアの副首相やニューヨークの料理人やら多彩に経験させて頂いた。

もともと17歳の時、単身勝手にイギリスに一ヶ月行ったことで、度胸が付いただけで、故渡辺美智雄先生のブロークンイングリッシュであることには間違いない。

学生もなかなかいい感じの子供達ばかりで、大変面白かった。

しかも、塩田村でいろいろと買い物をしていたし、塩田村特製の「ゆで卵」を頬張って、美味しそうに能登を満喫していました。
夜は、キャンプファイヤーを木の浦でするらしく、塩田村を後にしました。
学生と話していると、どうも広島に行って原爆ドームを見て、大阪から帰国すると言っていました。
アメリカの教育は、やっぱり少し考え方が違うから、原爆なんか体験?させて帰らせるんだと、思いました。
能登には珍しいお客さんが来た一日でした。




塩田村で研修後、バスに乗って元気に木の浦へ向かいました。

土曜日, 5月 17, 2008

揚浜式 その参

浜士の職人さんが、塩を窯焚きしています。

金曜日, 5月 16, 2008

揚浜式 その弐

揚浜式 その壱






見ての通り大変です。

揚浜塩田





今日は、一日塩田村で取材を兼ねて滞在しました。
 登谷さんにたくさん製法や歴史などを聞かせていただきました。

ちなみに、全部の工程をお手伝いさせていただきました。
本当に重労働で、とても苦労しました。

そうやって考えると、塩の値段は安いなと感じました。
これからの季節から、体験や見学者もどんどん増えてくるそうです。

子供たちにこれは経験させれば、きっと物の有り難味が理解してもらえるような気がしました。

一日充実して、勉強をしました。
本当に塩田村のみなさんありがとうございました。

日曜日, 2月 03, 2008

珠洲市 大谷塩田村




珠洲の塩田村に来ている。

ここでは、焼物に必要なものがここにあるので、調べに来た。

一応、今まで使ってきたものがあるからだが、それは非常に焼物の歴史にも記述されてきたものである。

さておき、珠洲焼でもおそらく使われてきたであろうし、ましてや日本全国いや中国さまざまに関係している。

以前、中国でも1000年以上続いていたことも、実際に見てきたのでわかった。

何を隠そう、宗教的要素にヒントがある。

やっぱり、火と関係することもそうだし、きちんとしたベースの上で生活していると理解しやすい。

考えるのは、良くない。

思い悩むのも良くない。

素直にあるがまま判断し、焼いていくとそれがわかる。

損得や焼けて全部割れてしまうなど、考えている人には、とても体に毒かもしれない。

いやいや生活にもそぐわないかもしれない。

だからこそ、この塩田村には将来があるかもしれない。

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