半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

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火曜日, 8月 31, 2010

志賀町福浦港 福浦祭り 猿田彦神社









猿田彦神社は、本当にいい勉強ときっかけになった。
様々事もあるが、どうしてもわからないことも経験することでわかり経験が何かを助けてくれる。
京都のようなそうでないような。
情緒。
鬼才なモノは行方知れず。
一体何がいいのか。
妥協点とは、ある意味対峙してこそ生れるものである。
悲しいことであるが、こうした時間の中に解決されるものがある。
近くに居ると見えなくなる事が多い。
それが人生であり、歩く道筋であると思う。
わからない人に、どうしたらわかってもらえるのか、悩むところだ。
何も考えない事も無い。
今来る瞬間に起きる事は、何が美しくて明るいのか。
なかなか分かってもらえないものです。
祭りはそうしたいささか日常の正当化出来ないものも、受け入れくれる。
能登半島のおかげで、能登のために考える。
きっとそのうちわかる時が来るだろう。

火曜日, 8月 24, 2010

能登半島 料理である刺身根性の腕と味 志賀町






生れて初めて頂いた。
このあわびとさざえ。
とは言っても、この肝で出来たレシピ。
料理人の腕と知恵の結晶。
いろんなものがあるが似ても似つかぬことが、ひとつの事実でもある。
心してゆっくりといいモノづくりにいそしみたい。
新鮮と言うのもあるが、心で伝えてくれる何かが有ることは言うまでも無い。
しかし、変われば変わるものだ。
昨年までの紆余曲折。
何もないわけでもなく心して歩くことは、大変であった。
なんでもないようで、いろんな心をいうものだが、今の忙しさの中身は今までとは違う。
人は自分の責任を果たそうとはしない事が多い。
いくらいい付き合いをしていても、損得をすれば、必ず際立って自らに降りかかることが多く、どんな立場があっても後悔することになる。
私はいつもそう感じているからこそ、じっくりと今と言う事実と付き合う。
様々な事も受け継ぐ辛さに、何かを見つめ直し、足を見ながら生きようと思っている。
この切り身のように、刺したように切れなければいけないと思う。
本当に申し訳ないという思いが一杯でいる。
自分の人生で、これほど有難く申し訳なく思うことは、なかなかない。
寂しい人生であったが、生まれ落ちた家と言うものが、それを証明していた。
今は心の置ける位置が変わって来たように思う。
そう思うほど、この料理は美味しい。
舌ではなく、心で美味しいと感じているからだ。
こんな事がある人生は、二度とないと思っている。
能登半島に来てから、私の時間も生き方も変わって来た。
関わる人の違いもあるが、添えて来た一番近い人たちが、自分を理解し続けさせてくれる人達だからだ。
私もいつかこのように切り身を造れる作家になれれば、本望である。
時間は早いものだ。
夏もそろそろ終わる時期に成って来た。

土曜日, 8月 21, 2010

中島町にしかない能登半島の景色  能登中島









初めて長い距離を歩いた。
人も少なくのとばーが歩く。
車も帰宅仕舞いし、静かに夕暮れ時が流れる。
寂しい。
そう言いながらも、日の長さに感謝する。
あっという間に時間も形質も変わり、溶け込むようである。
一進一退に苦しみ、現代の等価が極まれる。
最近ブログもままならぬほど、心が落ち着かない。
貧すれば鈍する。
だから心を元気にして、頑張ろうとしている。
忘却したように対される苦しさがある。
いつになったら明るく空が極まれるのか。
歩く道に能登半島に来てから、いろん思い出が走馬灯のように流れた。
時は早い。
人として、モノを造るモノとして、それなりにカタチを生んできた。
信念だけが、すべてある。
今日は暑い。
日射の強さが体を押さえつける。
刺す陽光が、どれだけ虚脱に成るか。
それさえも忘れてしまうほど、夏の日と言えようか。
歩くことで付けなくてもいい軌跡もあるものですね。

月曜日, 8月 09, 2010

起歪体なる人の心と感性  奥能登 珠洲市






人の心は弾力性がある。
どれだけ大変であっても、何があっても、強く縮んだり伸びたり、様々な変化を生み出します。
まさに人の心は、元気であるかそうでないかの方が重要なのである。
様々な積みがあったとしても、日々の努めにより変わっていくというのが、古来日本の考え方の基礎となっている。
しかし、時代はマイナスにするベクトルが働き、大変寂しい歪みが生れている。
だから私たち芸術家たちは、その何かを頑張ろうとしてこそ、人の心に何らかの影響を与える。
起歪体として言うのは、素晴らしいと思う。
原動力のパワーが注ぎ込まれる事で、何か未来が変わってくるのではないだろうか。
幸せの心にして上げる歪みを、上手く変化させそれぞれに反映させてほしいと思っている。
いろんな事があるが、心は潰れない。
生きると言う前向きな気持ちが無くなる事があるが、それでも元気になるきっかけや人に出会うことで、新しい世界と言うか心の形成を担ってもらえると変わるのではないでしょうか。
科学と言う世界があいますが、きっとそれは人間の体の中に内在するものと同じであると思っております。
ここに上げたシーンのように、きっと光と影があってこそパワーになったり、英気を得ることが出来るのではと思います。
今日も幸せになる人が、一人でも多く増えることが願いでもあります。
私の心も起歪体であることは間違いありません。

金曜日, 7月 30, 2010

激情と言うシアター  東京都





ここにある茶碗。
本当に苦労して造り上げたものだ。
いろんな事もあったし、これを造るために犠牲にして来た。
流石に自分としては、未知の世界と言うより自分を生かし切れるかと言う部分があった。
どこまでどうしたいのか。
何がいいのか。
どの色が最適なのか。
本当に使えるのか。

そして本当に売れるのか。

様々な中に本来の思うためのステージがある。
しかし、展開と言うモノは自分の計算外から出てくるわけで、何もわからないところがある。
そんな時間が三年間も経過し、やっと始まった空間。

しかし、思わぬ事から何もかもが生まれ、進化し続ける展開になっている。
語ることより、語らないことで、何かのシーンが変化する。
予想もつかない。

特に茶事に使われることは、恐らく有り得ない方だろう。
でも明日始まる。

激情と言う銘の付けられた私の碗が、小客を迎える。

土曜日, 7月 24, 2010

鮮烈な風景 光のグラデーション 能登半島









なかなかない一日。
そう思っていてもシーンは撮り切れないんモノだ。
でも、今日はかなり撮れた。
自分で自負しているような気もするが、それだけ今は枯渇しているモノがあるからだろうか。
回想している時間が多いからこそ、これでいいのかと思っている。
破壊ではなく創造であることは間違いないが、一般的にはそうも成らないだろう。
忌まわしい事もあるが、ここ一つに掛けてはシンプルである。
そう言わざるを得ない。
このブログを書く前に、一年後度書き続けたモノがあった。
すでに無くなってしまっているが、私としては満足出来ていたように思う。
そのままを書き綴っていたからだ。
後後失敗したと思ったりもしたが、ウソを書いたわけでもなく事実をありのまま書いてしまったものだからだ。
今思えば失敗ではなく、成功に通じる重要なきっかけであることは間違いない。
今日の光のように雲も、何もかもが通じ合えるモノは素晴らしい。
モノづくりに取ってかけがえのない現実は、手にすることが難しい。
人が私を色眼鏡で見ていると言われた。
この素敵な今日であるが…。
人の心には影が多い。
それは、誹謗する人間は被害意識を持っているからだ。
自らが何も関係ないと思う事が多い。
本当は同じ鍋や酒宴に居るからこそ、そう思うわけである。
カラスのように動くことは弛むことなくいい事ではない。
しかし真っ直ぐであればある程、歪んで見られる事も無い。
今を大事に生きて行きたい。
どんなことがあろうとも…。

水曜日, 7月 21, 2010

福浦港と神代 能登半島に続く自然









もう何度となくいろんな形に遭遇してきた。

でもこの海に勝てる美しさはそうないと思っている。

つまり自慢の海。

能登半島に来て、どれだけこの海に惚れ込んだか。

冬も夏も。

四季折々に見せる奥床しいところや大胆不敵なところ。

しかし繊細で心遣いが美しい。

能登半島の海は恋焦がれる存在です。

ずっと側にいて欲しい。

そして船のように、ゆらゆらと海の上で音楽を弾きたい。

そんなちっぽけな願いが、ここにあります。

落ち着いて座って空を見て海を見る。

そんな午後には、最高です。

ブリティッシュ的要素も気高いが、なんとも言えないですね。

コメント出来にくい景色。

こうして言葉の儚さと付き合う自分は、何も出来ない。

寂しい感覚だけが、襲ってくる。

海は生まれてすぐに見たものなのです。

太平洋の波を見て泣いた自分が、今頃記憶を回想しています。

今まで経験し得なかったことが、能登半島にはあります。

私自身の生きる時間は、理想に近づいたのかもしれない。

しかしそれが正解とは今は言えない。

海を見ていると、すべてが遠くなってくる。

灯台が道しるべを与えてくれるのかな。

水曜日, 7月 07, 2010

輪島に咲く花 ユリに赴くモノ。  輪島市






心映る華。
でも、何かが語るように傾く華の顔。
自然に何かがまつわる事は、心に落とす影でもあります。
生きているうちに感じる事は、本当に大変です。
もう終わるだろうと思えば始まるし、始まるだろうと思えば終わる。
輪廻転生というか、循環する何かは移し替える必要のない生きる様を写している。
いつもの毎年見るモノであるが、そこに本来の自分が存在するかは、この華と主に考えて生きたい。
華と私の華のどちらが咲き残るか、何に問えばわかるのあろうか。
有難い時間に感謝をしつつ、占いのような気持ちで自分の未来を見ているところがあるのかもしれない。
永遠と言う言葉を期待しながら…

日曜日, 6月 06, 2010

KyuWa そして、アートプロデュース








日々の中に考えて止まなかった現実。
この道に身を投じてから、ずっと思い続けて来た。
先生とは違う事を考え、方向性の違いもあり、自分を抑制してきた。
もう他界されて、今はいないが私の心の中に生きている。
だから、こうしてひとつがカタチになったことは、心で伝え想いを乗せている。
言葉では返って来ないが、それでも感じることがある。
二度と話せない現実も。

約束したわけではないが、それでも頑張って来た。
暑い今日は、片上湾を眺め割木を積んで重ねたり、ひと汗かいてぼぉ~っと空を見ていた。

体に残る記憶は、決して無くなることが無い。

こうして、ギャラリーで設営するのもそうである。

語れない人の心と想いがある。

関わってくれた人に、いつも感謝している。

書けば書くほど、自分の心も問いだされる。

自問自答は、終わらない。

止めることより、難しい生き方を今も続けています。

日曜日, 5月 16, 2010

一冊の本から始まる自分の過去と未来














長い月日に憧れて、この本はいつもそばにありました。
この前、どうしても整理しないと行けなかったので、今は自分の机のそばに移動して来ました。
本は懐かしくも、有難くもあります。
今までは自分の過去には、一抹の思いもあり、この本を頂いた人には何のお礼も出来ずにいます。
人生の中で自分と言う人間が、どうして生きてこれたのか。
様々な思いが、ずっと湧き起こっている。
解決されずに生きているのも、とても心苦しく過ごしていました。
あるきっかけから、私のブログを通してメールでの再開と成りましたが、運命なのだと思いました。
海に透明なガラスの小瓶に手紙を入れて流していたわけで、それを見つけれることは本当に万に一つであります。
人生は様々な境地を見出します。
宗教でも神様でもありません。
人の心があるからです。
毎日、一生懸命働きどれだけ努力していても、偶然や素敵な運命はなかなかあるものでもありません。
人の運命は、そうして見るといたずらにいろんな事があると思います。
この半年間。
そんな出来事が続いています。
心ある人、心ない人。
それは、それぞれの心にしか見えない鏡の中の鏡の自分を、もう一度見てほしいと思ったりしています。
理由はありませんが、過去に言えることは私ではない私を私と思っている人が多いかもしれません。
誤解は解けることがありません。
共有出来るステージが無いから。
だから、言葉があって心の表現でもあるモノづくりが、唯一の私にできる共有出来るものであり、カタチです。
私はこうしてこの本と出合い、この本をくれた人に出会い、素敵な未来をもらいました。
夢のような現実は、毎日繰り返すように続いています。
映画のような私の毎日は、今日も続いています。
この本と10年近く付き合いました。
そして、今日も10年続く何かが始まっています。

土曜日, 5月 01, 2010

42年間付き合った Hands  




簡単ではないが、ずっとこんな私に付き合ってくれている私の手。

乱暴には扱った事もあるが、大事にしてきている。
でも、怪我もするし、火傷もした。

何よりもたくさんの事を、しっかりと感じてきた。
だから、今何かを造り出そうとしている。
ウソではなく。
本当に残るモノ。

記念すべき今が来る。



土曜日, 4月 24, 2010

能登半島の五年目   能登半島






この形式に感動しながら生き続けて来て、五年目。
気が付くと、あっという間でした。
しかし、まだまだ未開の事も多く、私なりに歩んで行こうと想って居ます。
能登半島はこれからと思うし、時代に必要な事が多いです。
きっとそれは私だけでなく、たくさんの人も思っている。
だが、そうして思うとこの自然は未だに続き、これからもそうなって行ってほしい。
開発ではなく人の進化と道の再生は、欠かせないと思っている。
街灯も少なく、歩くのも、車も苦労している。
いくら電気料が安くても、暮らしの基本が出来てない。
生きているのは楽しい。
厳しいことはつらい。
でも、ここまでくればどんな道でも歩いて行ける自信がある。
五年。
結果を出す年になりました。
今日は奇麗な桜も美しく散り始めています。


金曜日, 4月 23, 2010

砂に刻む想いと現実  珠洲市






奥能登塩田村も、やっと揚げ浜式製塩を始めている。
朝も冷たい海の中へ。
きつくて辛い仕事ではあるが、出来あがった時の喜びは深くて暖かい。
浜士の登谷さんとも、結構長い付き合いになった。
時間とともにつながる思いのほかに、情熱がある。
私の過去の事も今の事も含めて、いいお付き合いをしている。
長い時間に何かがある。
人が人を叩く時代になり、正しい事、間違ったことも、交錯しつつ、常識論をかざす時代になってしまった。
そう言った意味では、共産主義なのだが、誰もそれに気づこうとしていない。
手塩にかけて造った塩は、まさにその何者でもない。
どうして今がこうあるべきかは別として。
ひどい時代だからこそ、すべきことがある。
毎日が楽しく暖かく笑える時間を多くしたい。
「人の不幸は蜜の味」
そんな言葉が迎合するのは、本当に恐ろしい。
蛭子が親を許したように、考え直さなければ、日本は駄目になってしまうだろう。


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