気がつけば、もう能登半島に来て、三年が過ぎ、四年目になろうとしている。
きっと、運命があるならば、このまま頑張って行こうとしている。
いろんな人の世話になり、世話をして来た。
たくさんの人の輪が出来た。
そして、能登という街に住み慣れた。
いろんな能登の海、山、田圃も、見てきた。
そうして、半陶という言葉も生まれた。
ここから、どうして頑張ろうか。
能登のためになることとは。。。
私も走り続けてきた人生は、今少し曲調が変わろうとしている。
しからば、何ゆえに難が降りかかるのか。
とても、不思議な人生だ。
周りには、とても迷惑をかけている。
しかし、数奇な運命は非常に観えない。
でも、何かに助けられ、生かされている。
ただただ、モノを作るということに専念しているのだが。
どうも、それがとても剥ぐわしい。
制作概念とやらも、そろそろ転換の時期が来ているようだし。
思いっきりたくさん作って、たくさん焼いて観たい。
泥をテーマに生きてきたから、いろんな泥の姿を見せたい。
心なしか、活力というか、芸術という原動的なエンジンが動き出している。
何の御蔭かはわかっている。
そう、私を信じて来てくれている人がいるからだ。
動きを止めてきた分、少しいろいろとあったが、仕方がない部分でもあった。
そして、人生の厄年も終わる。
結構、苦しくも楽しくもあった時期でもあった。
なかなか忘れられない時間。
「半ば陶芸をする」
半農半陶でもあるが、半芸半陶なのかもしれない。
生まれさす仕事は、芸術なのだ。
まさに、岡本太郎の芸術は爆発だとは言っていたが、何かよくわかる気がします。
私も、長い時間充電していたので、動きだすと早いのと、造るスピードも速い。
さて、本当に半陶をしないといけない時期も来たのであろうか。
言いすぎるから、言われるとも言うが、言えるから言うのであって、中川一政先生の言うように、言いたいことは言うのであって、自分にプレッシャーをかけつつも、生み出し、逆転させるのが、芸術という魂なのである。
真価を問われる時期も、近くなりだした。
いい作品、いい仕事、いい人生を送り続けたい。
生きるから、死ぬのであって、死にたいから、生きるのではない。
全身火傷、大事故、不当な事件、心ない踏みつぶしなど、超えてきた壁。
しかし、生きているのも事実。
生き残るのも自由。
「何があっても、自分に負けたくない。人を信じて生きたい」
答えというか、半陶の中にある意味は深いものがある。
手を抜かない仕事が楽しい。
だから、今日もひたすら造り続けている。
今の仕事場は、今までの中で最高の仕事場である。
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