陶芸教室。
もう、一年が来る。
そう、ちょうどマグカップから始まったのだが、今はこうしてロクロも出来るようになってきた。
成長と言うか、時間がたつと、上達するという素晴らしい結果がある。
こうしていつも、頑張っている姿を見ていると、感動する。
釉薬も、かけ方には、いろんな手法があるが、濱田庄司もそうだったが、多少楽な感じがいい。
磁器の作家などは、神経質になっているが、江戸時代の手法はそうではない。
14代今泉今右衛門などは、かなり昔のことに掘り下げて、探究していた。
今の炭の技法も、そこからである。
人の才能や主眼程面白いものはない。
今だからこそ、こうしてインターネットという百科事典が役に立つ時代だが、結局取捨選択しているのは、人間の感性のみぞしるとでも言っておく方がいいのである。
必要であることを精査している時点で、歩んで行く道のりに差が出来てくるのあろう。
きっと、そんな時代は今だけで、この焼物陶芸教室のように、思うがまま打ち込んで造る姿勢こそが、今の作家と言われる人たちに、真剣に必要なのかというか必然的に行われなければならないのではないかと、考えている。
土は、正直だ。
講習生が触っていると、不思議と意地悪をする。
まるで、先生が生徒に疑問を投げかけるかのように・・・
ロクロの上で自由にさせているようで、「ここっ」といった瞬間に、「はっ」とさせてくれることが多い。
しかし、それ自体は、陶芸教室ではなく、陶芸学校なのだと認識している。
ことさら、文章にすることでもないだろうが、書くことで私もその時期を振り返っている。
さて、今日は何を造ろうかな・・・
そんな時間が、能登半島に来て復活した。
ずっと、我慢し続けていた時間があっという間に過ぎて行った。
待っているときは長いが、訪れて展開が変わると、こうも楽になるのが、作家のいい加減さなのだろうか・・・
私は、間違いなく、自分のカタチを造るだろう。
日々、努力してきたことが、意味をなすことになるだろう。
新たな自分の展開が始まった。
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