想い出になるシーンの連続。
綺麗ということもあるが、なかなか犀川のほとりというのは、文学的にもいい。
休まる時間がない今は、こうして花火を見ていると、安心する。
仙台にいた頃は、まったく縁がなかった。
大年寺山の向こうに打ち上がる花火の頭と音を聞いて、二階の窓から眺めていた。
華やかというより、華麗な感じでした。
石川県に来て、能登半島に住んで、こんな時間もあるのだと、思っています。
岡山にいた時は、追われる仕事の忙しさに暮れていたものですが、こうして、石川に来てみると、なるほど、この街から文学者が出るのもわかる気がする今日この頃です。
何もかもが、スパイラルして、これからの時間が忙しくなりそうです。
ゆっくりと眠りたいと、思いながら、今を過ごしています。
ちょうど、心地よい風が川のほとりを、ゆるやかに吹いていました。
こうして、今年来た道が、来年も歩かしてもらえるのか、誰も知る由もないままに、花火は終わりました。
帰り際に、風が吹いて揺れている草むらの虫の音が、なにか来年も聞こえてきそうな、音が川のほとりに木霊していました。
いい金沢の花火の風景でした。
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