輪島市のワイプラザにヤマダ電機。
陶場の裸電球。
最近の雪で陶場は、完全に埋まっている。
寒いのは仕方ないが、何と言っても一苦労しながら頑張っている。
「貧すれば鈍する」と言うこともあろうが、「ボロは着れども心は錦」。
日々そうしながら頑張るしかないのですね。
時間とも闘いながら、毎日の心の鏡の中の自分を観察していれば、何があって何がないのかわかると思うのであります。
尾崎放哉の詩は、本当にそんな生活よりも貧困な中から生まれたのだと思います。
山東歌もそうですが、誠に底辺よりまだ考えられないところから生み出てくるのではないでしょうか?
「なん本もマッチの棒を消し海風に話す」
小豆島に居た時代に詠まれた句ですが、心情を思うとなんとも言えません。
岡山に居たころに大分本を買い漁って詠みました。
尾崎放哉という御坊さんは、なかなかいることもなく、今に伝わり見直されているのかもしれません。
能登半島も凍りつくように寒い日が続きます。
そんな句が生まれる土地でしょうし、今はとても貧困な時代です。
物質よりも精神です。
昔のように寺子屋や御寺で勉強する習慣も無くなり、まさに塊状な時代になっています。
時代の喪が明けるころ、静かに能登で暮らしているのも夢うつつに見ています。
「明日と言う日があるならば、迎えたい雪の音」
今日も一日がある。
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