いつも、頂いているお米はまつもとさんの育てたお米。
写真の場所から少し離れたところにもあるのだが、この能登半島の地域は、埋め立てがない。
基本的に、何もない上にお米がある。
だから、旨味も違う。
農薬の捲いているお米は、どうしても稲が細くなる。
丈夫な印象もない。
この能登半島は、すべてが生き生きしている。
特に、何の努力もなく。
しかし、この大地を守ってきた人たちがいるからこそ、お米も農作物もある。
変な科学的根拠ではなく、おのずと生まれでる物に、旨味がある。
収穫をたくさん採れるようにするバイオ科学もある。
確かに、微生物効果や環境変遷に合わせた概念は、常にたゆまぬ進歩をしている。
しかし、美味しいだろうか?
umamiもあるのか?
食べてみれば一目瞭然。
しかし、収益を考えるとロスは多い。
だから、ロスを前提に能登効果のあるものは、品格の違うことが言える。
お米のまつもとさんのところで、一番分かりやすいのが、野菜の大嫌いな子供たち。
冬に来て、野菜ばっかりのお汁を目の前に、ものすごい目つきをして、気嫌いしている子供たちを見た。
だが、おこわご飯を頂き、気がつくと与えられたお椀にいっぱいに入っている野菜を、すすり出す。
そう、甘いというのだ。
大地の恵みというのは、収穫を望むことは必要だが、透過してumamがあると言えるだろうか。
拝金主義的な農業は、能登半島に至っては、必要がない。
学者や経歴的、妄想的が理念は、いたしかたなくも能登らしくない。
やはり、モノには品があって、格が必要だ。
それは、沢山取れたり、派手に振舞うことではない。
いいモノづくりは、すべて共通している。
究極にトライし、失敗し、成功し、次第にモノに品も格も備わること。
能登半島のお米を、食べてもらいたい。
だから、生きるために能登を生りたい。
能登の子供たちが、近くにある財産に気が付いてほしいから、頑張れなければならない。
この映像のように、トトロが出てきそうな森がある能登半島には、世に言う好機が近づいている。
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