半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

水曜日, 8月 19, 2009

お米のまつもとさん そして、能登ノ國という米









いつも、頂いているお米はまつもとさんの育てたお米。
写真の場所から少し離れたところにもあるのだが、この能登半島の地域は、埋め立てがない。
基本的に、何もない上にお米がある。
だから、旨味も違う。
農薬の捲いているお米は、どうしても稲が細くなる。
丈夫な印象もない。
この能登半島は、すべてが生き生きしている。
特に、何の努力もなく。
しかし、この大地を守ってきた人たちがいるからこそ、お米も農作物もある。
変な科学的根拠ではなく、おのずと生まれでる物に、旨味がある。
収穫をたくさん採れるようにするバイオ科学もある。
確かに、微生物効果や環境変遷に合わせた概念は、常にたゆまぬ進歩をしている。

しかし、美味しいだろうか?
umamiもあるのか?

食べてみれば一目瞭然。
しかし、収益を考えるとロスは多い。
だから、ロスを前提に能登効果のあるものは、品格の違うことが言える。

お米のまつもとさんのところで、一番分かりやすいのが、野菜の大嫌いな子供たち。

冬に来て、野菜ばっかりのお汁を目の前に、ものすごい目つきをして、気嫌いしている子供たちを見た。
だが、おこわご飯を頂き、気がつくと与えられたお椀にいっぱいに入っている野菜を、すすり出す。
そう、甘いというのだ。

大地の恵みというのは、収穫を望むことは必要だが、透過してumamがあると言えるだろうか。
拝金主義的な農業は、能登半島に至っては、必要がない。
学者や経歴的、妄想的が理念は、いたしかたなくも能登らしくない。
やはり、モノには品があって、格が必要だ。
それは、沢山取れたり、派手に振舞うことではない。

いいモノづくりは、すべて共通している。

究極にトライし、失敗し、成功し、次第にモノに品も格も備わること。

能登半島のお米を、食べてもらいたい。
だから、生きるために能登を生りたい。

能登の子供たちが、近くにある財産に気が付いてほしいから、頑張れなければならない。

この映像のように、トトロが出てきそうな森がある能登半島には、世に言う好機が近づいている。


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