庭に咲いていた牡丹。
華も奇麗だが、この九谷焼とは密接な逸話がある。
古九谷がどこで焼かれたかの論争。
そう牡丹の華の絵皿。
でも、これは理にかなって考えるとわかりやすい。
昔の人は、目の前にあるものしか書かない。
見てないモノは想像やイメージでも、書くことがない。
そして昔は船で貿易をしていた。
だから、焼物を素焼きしてこの石川県まで持ってくることは、普通に考えられる。
ましてや唐津焼、珠洲焼も全国あちこちに存在している。
だから船で持ってきて書いて焼いて送る。
鍋島藩は焼き物に関して、貪欲だった資料も多い。
ちょっと前に戸栗美術館で、年貢用に絵付けするための図案展があった。
そのぐらい真剣ならば、恐らく素焼きして絵付けし、焼き上げたモノを買い上げる事も考えられる。
美しいモノは、そばに無くてはならない。
しかし、今のようにデジカメや写真があるわけではない。
咲く時にそばで書くことが、より一層焼物に写り込んで来る。
時代を経て、今でも奇麗だと思えるのは、それしかないということではなかろうか。
牡丹の華を見るたびに、そう思っている。
李三平の子孫でもある金ケ江省平君と話した時に、そう感じた。
彼も韓国から祖先は連れて来られたと言っていた。
でも、あの時に海岸沿いにほとんどの効果度で焼くことのできる技術を持った陶工がいたのか?
きっと、自由と焼物を造る人を認めてくれる日本に行くことを、約束して落ち合って待っていたのでは?
そう言った時に、彼もそう思った。
造りたいから行きたい。
認めらえたいから行きたい。
韓国が悪いと言うわけではありません。
今の時代でも同じ。
華を咲かせたいと思うところに行きたい。
だから、私は能登半島に渡った。
それが真実でもあります。
庭に咲く花を見て、そう思った昔の自分を思い出しました。
牡丹の華のように、奇麗に咲きたいモノです。
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