もう五回目。
この能登半島に来てから、毎年観て来た。
能登半島に来る時は、岡山から京都、金沢、七尾、輪島と桜の開花に合わせたように北上してきた。
そうしてあっと言う間に、五年目。
節目と言われればそうだし、これからと言えば、まさにそうであろうか。
時の中に自分の思いを封じ込めて、じっと作品に蘇るだろう思い頑張って来た。
何が合っても進む力は負けないが、人である以上限界もある。
それも知りつつ、歩んできたことは、自分の人生にとって桜と同じと思っている。
この駅ものと鉄道の存続に関係している。
まさに、「生と死」が隣り合わせである。
続くも続かないも、関わる人によって変わってしまう。
私は私であるが、私でない。
極論、何もないのだと言いたい。
わからないからこそ、魅力があり、叩きがいもあるのだろう。
昨日も珠洲の作家が私の事を、何か言っていると聞いた。
まあ、もう何回も聞いているが、そろそろそんなエネルギーより、本当に奥能登のために一心になってほしいと思う。
モノづくりならモノづくりらしく生きてほしい。
こだわりではない。
生きると言うシンプルなものである。
だからこそ、これからが楽しい。
能登の子供たちに必要なのは、争いや悪口ではない。
共存して生きて行ける知恵と能登で生きる手段を与えてあげなければ、「花と種」には成らない。
そう、この桜と同じなのである。
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