半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

金曜日, 10月 24, 2008

輪島焼 読売新聞 北國新聞掲載


今回2社の新聞の方が来られて取材してくれました。
いろいろと今までの経過や流れ、歴史の話をしっかりと聞いてくれました。
読売の方も北國の方も、思慮深くとらえ方も非常に、爽快明快に書いていただき、感謝しております。
北國の方は、まだ若く入社間もないらしかったが、とても変わっていて、面白かった。
私は巨人が好きだったので、読売さんに対しては、正直ニコニコでしたが、書かれる中身の重みは、人に伝える部分として、うまく書いてもらったので、嬉しかった。
岡山にいたころは、取材もテレビや雑誌、リビング紙などたくさん書いていただいたりしたおかげで、いろんな評価がありました。
特に、一番嫌だったのは、取材した後に記事を潰されたりしたことも、結構ありました。
でも、記者さんが悪いわけでもなく、私という人間がどうしても人より目立ったり、業種的な人から気に入られなかったり、おべっかの使えない自分がいるので、どうしようもないこともあり、残念な結果になったこともありました。
しかし、私はそんなことなどにも臆せず突き進むのが、なんとも幸せなようで、頑張ってきました。
未来の子供たちのために、一生懸命していこうとすることが、なぜいけないのか私には、理解できないというか、わかりませんでした。
島根で学校と研究所を教えてきましたが、それは大変でしたが、今となれば作家が育ったり、窯元が出来たり、学校が大きくなったり、いろいろと成功させていました。
ただ、おもしろかったのが、学校の放送で「先生たちは職員室に御集り下さい」なんて流れたので、足早にいくと「東龍先生は、いいですよ」と退室を願われ、そうしたかと思うと県知事さんや国会議員など御偉方が来るときは、「先生悪いが、お相手してもらえないか」なんてことも、よくありました。
何しろ、時代を造る側に立った自分がいる以上、運命的な生き方をするのは、どうにも止められないものでした。
しかも、あることないこと言われるのも、どこに行っても変わりません。能登に来てもですが…
そうはいっても、時間は進み流れていますから、新しい価値感覚の創生に頑張っています。
今は、吉田隆さん、お米のまつもとさん、良ちゃん、翔くん、尾戸さん、公民館の橋本さん、里美さんなどなど、本当にいい人たちがいるわけで、何も恐れることもありません。
「出る杭は打たれる」とありますが、まさにその通りの生き方をしてきました。
高校時代まで、言語障害だったのも、それが原因でした。
人と違うし、みんなとは違う変ってる人間だったから・・・
今現在も変わりませんが…

読売新聞リンク先
北國新聞リンク先2008.6.6
朝日新聞リンク先2008.818

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