撮影 塗師屋 山良 立野良基
昨日窯出しをしました。
やっと、今回はなんとか作品が焼け上がりました。
能登に来てから、三年間が立ち、なんだかんだいろいろとあり、遅れたり、進んだり、非常に苦労しました。
自分は、備前にいた状況の中で作られてきた歴史や焼いてきたものが、どうしても自分の中から消え去る事が出来ないでいたから、余計に窯で焼いて出すと言う事に、多少なりとも抵抗感があったことは、経過の中に存在としたのです。
周りの期待感もあったり、本当に悪いと思ってきたのだが、でも窯の前に座るとやはり備前焼を焼いていた自分が思い出され、ついつい過去のモノを追う事になってしまう自分がいたのです。
私は、中川幸夫先生に言われてきた「お腹の中で思う備前」が、やっとカタチになったし、先生に真っ先に見せたい作品が今目の前に現れた。
能登の荒波にもまれる如く、私が能登に降り立った時から、風評に悩まされてきたことも、これで一つは片付いたような気がする。
愛する珠洲焼、洲衛焼は、大好きな珠洲市、輪島市にある。
能登の海から取りいでた食材は、私の感性を変えてくれた。
毎日、頂いた食事、愛情、心づかい、おもてなし、安らぎは、私が疲れて来たすべてをきれいに取り去ってくれた。
窯から出た作品たちは、本当にいい顔を見せてくれた。
彫刻家の吉田隆さん、翔君、良ちゃんが窯出しの手伝いをしてくれたり、新聞記者さんたちがいろいろとお話を聞いてくれた。
その瞬間瞬間が、今の傷ついた心を癒してくれた。
作品を取り出した時、冬に珠洲の大谷に近いところで見た海の花のような白い景色と真黒な肌合いは、何とも言い難い重みのある風合いに仕上がっていた。
海の花は、私にとって一生の思い出でもあるし、心の涙するほど感慨深いものがある。
あの海の花が、海の上を踊る時のような情景が作品には、ひとつひとつ移りだしている。
15年前にこの珠洲に来たときに、心に描いたもの以上に今は素敵な半島で暮せている。
珠洲焼の窯跡に沢山周り、土地の人からいろんな話を聞いたり、いっぱい幸せにして頂いたからこそ、ここに来たのである。
輪島焼は、カタチになった。
しかし、私は次のステージに行く準備をしている。
これから能登半島より素敵な新しい時代がやってくるとように…
それに続くように時代を造っていきたい。
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