

いろいろ大変だった時期なので、思い出深い資料なのだ。
細工物から、造作など、様々に作陶していた。
職人も少数気鋭の感じで、結構いじめやら、落としあいは普通に合ったわけで、かなりキツイのが窯元の職人人生だった。
そこで修行した後、10年後に故林 弘大和クレス㈱代表取締役会長に声をかけて頂き、再び窯元に復帰し、工場長として三代目としても、お願いされ汗水流して、建て直しをしました。
本当に、備前焼祭りにしても、普段の売れるものから、なんでも企画して売り上げを倍増させることに努力してきました。
特に、祭りではテレビが来るほど、バカ売れし、最終日にお金の計算をして合算を話すときに、谷口支配人が涙したのは、本当に驚きました。
ずっと、採算がギリギリかちょいプラスだったから、かなりの倍増には感動?したらしいかった。
この窯元で三年間、林会長が亡くなるまで、私は真剣に一生懸命、この窯のため西村春湖先生のために頑張ってきました。
林会長には、本当にお世話になったわけで、今からより努力して、あの世に良き報告が届くように頑張っている現在です。
輪島に来る前、春湖苑で最後にいい仕事を残せたのは、私の焼物人生の中で、一番の思い出となった。
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