デクの釉だが、档の木、あすなろの灰のことを指す。
能登半島は、このアテの木が多い。
いろんなものに使われているが、輪島だと御箸が基本的に多かったが、どうも最近は米国のヒバの木が中心らしく、少し物悲しい状況のようだ。
この半島に来てから、さまざまなモノや環境、条件、素材を見て歩き、実際買ってみたり、使ってみたり、食べてみたり、触ってみたり、泊まってみたり、なんでも経験することに努力してきた。
御米ひとつそうだが、食べる食感が半島のお米は出来が違う。
昔、島根県の旧横田町に窯や研究所、学校の指導をしていたときに、船通山の方で清流米というのを頂いていたが、味が本当に美味しかった。
だが、半島のお米は何気ないところのものでも、当たり前に存在する。
山から湧き出る水は、美味しいし、飲める。
海は、透き通って海底が見える。
田畑は、鴨や鷺が喜んで餌を探している。
そんな中で見つけれる素材のひとつひとつは、素晴らしい。
デクの釉は、そんな中で頂いた半島の恵みである。
これから、もっといいカタチで活かせるようにしていきたい。
中川幸夫先生が、私によく話してくれたことにこんな話が合った。
「そのものの近くにいなければ、それを取り込み自然に表現することは出来ない。観てない物、感じ取れないものは、あくまで仮想であり、モノ自身に重みはでない。だから、生活の中に事実が必要であり、それを真面目に作っていき、ああっと思える機転を利かし笑いをとることだ」
その言葉通り、今はよくわかる結果になった。
それに、私も尊敬する作家に光悦がいるが、中川先生は私に田舎というか、都会では出来ないことの一つには、光悦の考え方や視点は現代の都会社会では厳しいと話して下さり、
「光悦の茶垸のカタチには、その秘源が隠されている」
それは、この能登にもあった。
今頃、中川先生の言葉というか教えは、私の中に少しづつ花を咲かせようとしている。
気がつけば、私自身にたくさんの華の種を植えてくれたのかもしれないと、最近良く思うことがある。
そうしてデクの釉は、人々に優しく豊かで心の奥底に余韻を残す色を醸し出し始めている。
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