半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

金曜日, 6月 06, 2008

Paul Smith


ポールスミスとコラボレーションした時の一枚だ。

実は、このサインは私との仕事の時から変わったものです。
直筆でささっと、書かれたもののようです。
メーカーでは以前はに、PSのロゴだけでした。
たしか、担当の岡田さんが驚いてすぐに送っていただいたのを覚えています。
それから、ちょっとしてエリザベス女王からSir の称号を貰い、
その後、私との東洋白磁の作品を出しました。
彼は、打ち合わせの時、日本にエリック・クラプトンと来ていたり、
本当にフランクで面白い人でした。
ですが、すべての打ち合わせにきちんと目を通し、他人任せにしないところが
世界でも、通用する必要なところだとも、思いました。
関係者の人には、本当に言葉では言い尽くせないほどお世話になり、
今でも感謝しております。
だから、今白磁の作品に取り掛かったのも、なにかの予言めいたものだったのかなぁ
なんて、思ったりしています。
時間は早いもので、すでにもう7年ほどは立ってしまいました。
私自身、そういいながら以前はたくさんの人と仕事をしてきました。

ただし、「最初で最後」、一回限りの即興、「一期一会」・・・まあ、生意気にも、
なんでもそうやって、やりきってしていました。

だが、今は自分の中にあった違う面が、少しづつ出てきたようです。
いい作品を造り、未来を造る子供のために、頑張るということはいつものことで、「一回限り」では考えないこと。能登に来て、そこは変われたし、引き続きの部分によりいい感じで、スパイラルしてきたように思います。
本当は昔とは、少しも変わらないつもりなのだが、能登に来て、足元より私自身が変われたと
言えることではないだろうか?
しかるに、洲衛のお米のまつもとさんも、私にとってはポール・スミスの存在と同じであり、
洋服がお米や作物になってきたわけで、無肥料、無農薬精神は、まったく同じと思っています。
きっと、ポールも、まつもとさんに合ったら、笑いながら炭で焼いた牡蠣を食べながら、酒を飲んで
談笑するに違いないと思います。


かくして、ポール・スミスは最高のフャッションデザイナーであり芸術家でした。


  

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