能登には、荒波がある。
長谷川等伯の「松林図」はこんな感じだったのだろうか?
等伯は、この絵を描いたときは能登で書いたわけではない。
もう、過去の何かから体の中からふっと出てきたものに違いない。
どうして、どうなるのか。
昔の人の感性は、恐ろしいものがある。
現実的に、今もこの絵が残っていることにより、現代の人たちも感銘している。
しかし、半島人の心意気はもっと素晴らしいものがある。
気が付けば、あっという間に過ぎているのが時間である。
この絵は、国宝というだけでなく、人間の必要な心や感性やすべての奥深いものを演出している。
だれも真似の出来ないこの絵は、当たり前だが一枚しかない。
また、この絵について語るべきものではないが、私なりに書いておきます。
風を書くことは難しい。
しかし、書ける人間もいない。
筆を持って書いてみればわかる。
単純こそ出来ないものだ。
いい筆だろうが、駄目であろうが。
何もかもが、揃わなくては出来ない。
今日の風も、冬の良さが体を包んでいた。
長谷川等伯 七尾商工会議所より(画面松林図は下記のホームページより添付しました)
http://www.noto.or.jp/nanao/cci/touhaku/big/20.html
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