
撮影 立野良基
本日は、第一日目の教室。
私は、長年岡山で陶芸教室をしていた。
また、島根の学校でも教えてきた。
この半島に来てはじめての教室でもあり、意義のある第一歩である。
今までとは、まったく違う新鮮で自由な感じにして行こうと思うし、経験を生かした面白く先につながるものにして生きい。
今日は、七尾美術館の喫茶店でこれからの講習について歓談した。
はじめから、楽しい感じで始まる予感はしたが、全員で話す息の面白さはこれからの作品にも影響するだろう。
浜岸さん、清水さん、木嶋さんなどが掛け合うように、展開良く二時間ほどディスカッションした。
どんな作品にするか?
どんな目標にするか?
などなど、話しているうちにあっという間に三時半近くなり、散会した。
まず、陶土は焼閉と磁器土はいるかなと、思った。
製作は、二月第二週からです。
なにが出来てくるか、私は楽しみにしている。
能登の焼物が出来るのだ。
半陶のカタチは、何かを教えてくれるだろう。
半陶 陶芸教室 第一期生の幕開けスタートは、始まった。
半陶
能登半島には、いい陶土があった。今まで東南アジアや、ヨーロッパ、唐津、瀬戸、備前、信楽、珠洲などたくさんの窯跡や陶土を研究してきた。その中で、この半島には素晴らしく素直ないい土があった。特に七尾、洲衛から能登町に渡りいい感じに存在していた。長谷川等伯の出生でもあるが、風、海、波が本当に自然の強さを出している。長年、焼物を焼き続けてきたが、ここの半島に来てからは、民族性、風土、慣習などさまざまに触れてきた。その全てが、何かを生み出しまるで、アフリカのマリのような感性の持った半島人達は、なぜか自然と芸と技術を持っている。しかし、それは誰も考えていない大地から醸し出す気骨がなんともいい。半陶焼は、私自身がこの人生の中で「焼物」だけで食すると言うことが、どうにも分からない生き方だったこと。まさに、日本の昔からあった半農半陶の精神でもあったように、「半ば陶芸をする」そして、半農ではないが、その生きて行く方向性がそのままであったから、授かったものである。何もかもがステージを持ち、毎日生きていくことによって、発見があり画一化されたモノ造りではなく、仏教感を持った「円空上人」のように、無為する創造のモノ造りをするべく、作り続けてきた何かをこの半島で現して生きたい。観音菩薩の笑みのように、信じ思い続け真剣に願いかなう事を夢見て、この身体から歓喜気楽になった作品を見て頂きたい。飛鳥天平文化のように、自由闊達で飾り気のない野武士が祈り続けた気迫が何か、感じていただければと願っております。この半島より、大地を掴み出で風雪に耐え続けた木々で焼き上げ、そのままの「カタチ」に現し、出でた作品を使い眺め私のこの不器用なありのままを楽しんでください。
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