夏によくある風景である。
毎日、能登半島に来ていろんな夕日を見た。
大沢から門前から、大谷から曽々木からたくさん見た。
でも、一様にすべては美しく懐かしい。
日本での原風景では、もうありえない部分がこれである。
島根に居たときもそうだったが、どうしても探してもないものがある。
日本海はとってもやさしい。
それで居て、忘れていた何かを語らせてくれる。
論ずるに値しないこの時間たちは、私たちにいろんな思いを感じさせてくれる。
漁火もそうだが、普通には存在しない暖かいものである。
能登半島は、海がすべてではない。
だが、私は今海と対峙している。
時間が止まってほしいと最近良く思うのも、海と少しは付き合いしてきたから、何かが変わりつつあるのかもしれない。
ゆっくりした時間というか、孔子の「君子はその言の その行いに過ぐるを恥ず」という言葉がよく分かってきた。
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