半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

火曜日, 10月 02, 2007

焼けるとは



焼物の中で一番肝心なのが、造る事より焼く事である。

いくら作れても焼けなければどうにもならない。

それぞれの土の焼成温度によっても違うのだが、耐火度というものが非常に大事である。

陶土にも、鉄分も多く含まれていることや、鉱物などの含有率、可塑性などなどとても簡単であり、かついい加減である。

何がいい加減かというと、陶土はそれぞれの形を持っているから、きちんとある程度焼けることが出来れば、千差万別に才能を発揮する。

これは、最大限に焼けるところと最小限に焼けるところが面白い。

焼くという事は、本当に人間を育てるというか育っていく過程に似ている。

ましてや窯焚き最終段階においては、本当に集中力と精神力で乗り切らないと難しい。

なにしろ、中の作品が光具合と窯の嘶きを聞き、煙など総合的に判断し、感覚の赴くままにタイミングを見計らっていく事が、重要である。

韓国に行ったときに、幾度と無く大変だったのが「固定概念」である。

こうしたいと思っても、「いや教科書には・・・」なんて言われたり、ある方法をすると「それは、間違いじゃないか・・・」などど、よく言われたものだ。

だがしかし、窯出しを迎えると、一様にして「いい焼けですね」となる。

やっぱり、方法論や勉強家達にとって、私の方法は異端に感じられた事は言うまでも無い。

まあ、そのナントカ論をやる訳ではないが、やる事によって一つの方法論は出来上がるのかもしれない。

今、私の窯場にある能登の陶土は、その焼ける事を待っているに違いない。

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