普通のシーンのようで、私に取っては、どうも慣れないシーンであります。
東京というところにあるのが、こんなコラボな自然現象を見ていると、いろんなことも思う。
能登半島にも、似たようなシーンがある。
でも、マクロやミクロ的なところであるが・・・
そう、想いのまま考えているだけで、同じなのである。
歩いている蟻。
歩く人。
さりげなく流れる川。
流れていた記憶な溝。
刈り上げられた剪定の木。
雪で造られた壁。
何もかもが、いろんなシンクロをしています。
そんなことばかりを考えているわけではないが、事実日々思っている。
こうして、思っていると、切りがない。
時間の中に、事実がある。
住み分ける心と体の合間は、本当に優しい。
能登半島にあるモノは、血が通っている。
都会にあるモノは、ない。
言いきるわけではないが、ここに現代アートの如実なところがある。
どうしても、そんなことを言っていると、どうしようもなく、現代美術作家 守 章を思いだす。
考えると、私との同級生で長年付き合いもして来たが、どのように歩んできたか、よく知っているのである。
彼は、双子の兄弟で、様々な現代アートをしてきた。
そうして、考えて見れば、2000年に倉敷美術館で、現代アートとコラボレーションをしたのも、陶芸では見受けられない時代であった。
思いだすと早いものだが、歩く時間としては、格別に楽しかった。
彼としては、満足いく結果ではなかった。
でも、今能登半島で一緒に出来ないかと思ったりしている。
ホンマタカシという写真家など、様々な人と東京現代美術館で個展をしたり、山口県の「光」博がある前から、山口の美術館で現代アートをしていた。
何がしかあって、今がある。
今、40代になって、やろうと思うことを、やろうと思う。
出来ないかもしれない。
出来るかもしれない。
シビアに見ると、太陽の黒点のようなものである。
今年、一年がいい年になるよう願わないはずはない。
0 件のコメント:
コメントを投稿