半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

水曜日, 8月 05, 2009

土に還る土という土探しとは…




芸術家にとって、何が必要か?
かの岡本太郎と付き合っていた知人というか、お客様がいた。
私の眼を見ると彼を思い出す。
そんな会話の中に、心の無垢というテーマがある。

今まで生きていて、沢山の芸術家に出会った。
中川幸夫、ピーターヴォーコス、鈴木五郎、流政之、ヨーヨーマ、植田正治、渡辺香津美、アラーキー、申相浩、金子潤、我が師匠藤原雄…数え上げれば切りがないほど、いろんなことが合った。
語る時も来たのか、不思議と最近回想に近いものがある。
未だ、私の存在は分かりにくくなっているが、それはそれで考察の範囲内のことでもある。
計算ではない計算。

そして、この頃になって自らが土に還る可能性と出会った。
光り輝く魂。
私はこの能登半島に来た当時に見つけていた、心の魂。

気がつくと、もう3年立っている。
時間は、鏡の中にある自分の心の刻みを、映し出している。

土に還るという生涯のテーマは、敢然と突き進んできた。
さても、何かに変じることも可能性の一つだったが、鼓のシテ、ワキ、ツレという中の風姿花伝が、自分の中にあるとわかって来たのも、岡山の後半残りで感じていたことだ。

世阿弥の世界観は、わかる人も少ない。
しかし、舞演じるためには、何が必要か。
事というものは、始まれば誰もがわかる。
しかし、それではまさに、観客の中の一人であって、シテではない。
土に還るきっかけは、始まった。
私にとって、何よりも必要な人だった。
さて、ここからが楽しみな時間でもある。
刀匠 久保善博との約束も果たさなければならない。
もう、約束して10年は立とうとしている。
そして、弟子の明珍祐介。
彼も、ラストサムライにも出演し、なかなか面白い生き様にもなっている。
心の輝ける魂は、還る土を見つけたからこそ、次のステージに歩く様相を変じ始めた。
変えることのない道のりは、いつしか軌道ではなく、溶けてしまい能登の海に、流れているようだ。

秘すれば花なり秘せずは花なるべからず

その言葉を語るべくして、伝えたい。
心ある花が咲いてもらえるなら。
ずっと咲き続ける花もあるのだと。



風姿花伝

ただ珍しさが花ぞと皆人知るならば、さては珍しきことあるべしと思ひ設けたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。見る人のため花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。されば見る人は、ただ思ひのほかに面白き上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。


まさに、モノとは、いかに儚くもそして、永遠の魂のカタマリであるか。

能楽ゆえに、能登が楽しいようになって来た。

百花繚乱でありたいものです。

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