作品の一枚。
いい感じの瞬間だが、造りたてとそうでないモノ。
でも、どこかロクロの音や動きが読み取れる。
作る時間より、掛けていく思いが造るモノに息吹を与えているほうが、何より重要である。
マテリアルが自然と醸し出されていく瞬間は、誰にも与えられてるものではない。
しかし、どうも何か最近作るものに違う顔と瞬間を見ることがある。
適当ではなく、おのずと生まれてくる貴重なエナジー。
能登半島にきてマテリアルを探し、やっと一つ一つがつなぎ合わせれ始めたのが、今である。
ここには、九谷もある。そして、加賀焼、珠洲焼。
それぞれが織りなすパフォーマンスが、とても新鮮で楽しい。
だから、半陶であり、輪島焼と名付けただけである。
何の土であろうと、どんな技術であろうと、出来あがってきたものが、いいモノならいい。
作家の名前、商業意識など、なんの必要もない。
柳宗悦の民芸運動こそ、今こそこの時代に多大なる必要性を感じるのは、私だけであろうか。
松本市に行って、あった出来事が今年から私自身の作品や活動に大いなる影響をもたらすことであろう。
マクロなマテリアルな写真は、ほっとした気持ちになる。
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