




この空間は、たまに来る場所だ。
まるで、ヴァン・ゴッホの愛して描いた糸杉のようでもあるし、美味しい空間である。
まさに、食卓のような場所でもあり、絵筆を持ちたくなる。
私自身、頭や心が疲れた時には、一番の場所である。
生きていて、人とかかわりたくないのだが、生きてている以上必要なのだが、どうも実際は苦手である。 しかし、一生懸命努力しているから、なんとかやっている。
日々時間は流れ、ツカムことのできない時間を探し、自分のために時間を見つけ、時間という見えない瞬間達を満足しようとしている。
きっと、時間という名前の付いた景色を,観えないながら、人間は探し続けているのだろうか。
サルバドール・ダリが描いた時間もそうであるが、私の中のイメージも存在する。
其々、刻々、日々。
何事も、言葉自体もPerhapsというか、たぶんという不確定な表現しかできない。
この木々は、踊っているようにも、叫んでいるようにも、そして、笑っているようにも見える。
しかし、私自身も何か話しかけているようだ。
だからこそ、時間が観えてこない。
不思議の国のアリスに出てくる、ウサギの持っていた懐中時計が私は欲しかった記憶が今でもある。
実は、その時計はこの能登にあった。
私は、アリスのようにこの穴に入ってしまったのだ。
ENYAのカリビアンブルーは、この景色に丁度いい空間を演出してくれます。
ふしぎの国のアリス」のあらすじ
アリスは七歳の少女。ある夏の日、お姉さんと一緒に川の堤で本を読んでいたが、だんだん退屈になってきた。そこに、洋服を着た白ウサギが、慌てた様子で走り過ぎ、アリスは思わずあとを追いかけ、うさぎ穴に飛び込む。そこは不思議な世界の入り口だった。下まで行くとそこは広間で、ガラスのテーブルがあり、壁にはごく小さな扉がある。テーブルの上の鍵で扉を開けてのぞくと、美しい花壇や噴水のある庭が見えた。アリスは小さくなってその庭に行ってみたいと思う。テーブルの上にあった瓶の飲み物を飲むと小さくなるが、扉を閉めて鍵はテーブルの上に置いたまま。テーブルの下にはお菓子があって、それを食べると身体が大きくなるが、今度は扉の中に入れない。
その後、白ウサギの落とした手袋と扇子、森の中のきのこなどで、アリスは何度も大きくなったり小さくなったりする。まわりの景色も移り変わり、きせるをふかす不愛想なイモムシ、醜い公爵夫人、にやにや笑うチェシャ・ネコ、ティー・パーティーをしている三月ウサギと帽子屋などに出会う。みなそれぞれナンセンスな、勝手なことを言っていて、アリスはめんくらったり腹を立てたりする。
やがてアリスは、何度目かに現れた小さな扉の鍵を開けて美しい庭にはいることができた。そこはトランプの王国で、気ままで残酷なハートの女王がとりしきり、クローケー遊びをしてたくさんの人に死刑宣告をしたり、全員を許したりしている。やがて裁判になり、アリスが聞いていると、身体がだんだん大きくなる。ハートの王と女王はアリスを追放しようとし、トランプたちが襲いかかってくる。払いのけようとするとふと・・・ 続きは子供と読んでください。
1 件のコメント:
Bonitas fotos!
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