ちょっと、事情もあって徒歩で山を歩くことになった。
こうして、ちょこちょこして行くと、いろんな発見があった。
個々に自然は、姿形を変え、今まで見たこのないモノを見せてくれた。
昔は、よく四時間や五時間歩いて生活していたことを思い出しました。
夏目漱石の「歩く速度」なんて、本があったと思うが、それをよく読んでいた。
やはり、歩かないとわからないものがいっぱいある。
能登は、特にそうだ。
こうしてみると、やっぱり自然と溶け込んでくる。
今年、海に潜ったときもそうだった。
見えてくる何かがある。
でも、誰とそれを共有するかが、とても大事である。
経験は、間違いなく心から感じるメッセージを変えてしまう。
いろんな空間は、優しくも何かを教えてくれる。
光悦の茶碗のように、何から発想し、カタチにしていくか。
私は、この能登に来て何かそこが見えてきた。
というか、体から取り出でてくるハッキリしたものが、わかってきた。
だから、こうして歩いたおかげでたくさんのモノが、見えてきた。
それもこれも、お米のまつもとさんのおかげである。
きっかけは、どうしようのないが、今の私に何が必要かわかってきた。
今のこれは、きっと何かに反映するだろう。
能登の自然こそが、何よりも先生であり、感性を揺るがす何物でもない。
七海や洲衛は、普通にそれがある。
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