半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

木曜日, 1月 17, 2008

中川幸夫先生



私がこの道に入り、偶然出会う中の先生といわれる人で、一番というかありがたい存在である。

いまから、もう十四、五年ほど前に、友人の守喜章という現代美術の作家が窯出し間もない私に、雑誌のコピー確か週間ポストの切り抜いた物を送ってきた。

文面には、中川先生と双ギャラリーで自分の個展で一緒になったりして、私のことが見えたらしく「おまえに似てるんじゃない」なんと、面白い手紙を送ってきた。

ふっと見やると、そこには白黒写真ながらなんとも言えない居心地の良い紙束を、頂いた。

それは、どうしても運命を感じたのと、自分の考えと同じと勘違いながら思った。

求龍堂の太田さんにお願いをして、新宿のタローという喫茶店で会うことになった。

初めて会った先生に、私に「ほう、面白いけど、もっとやらないといけないことがあるし、もっとシンプルの方がいいよ」と焼けてない作り立ての焼き物の写真を見て、私に話してくれた。

それから、何年のお付き合いをしたかわからないほど、たくさんの必要な生き方を教わった。

ある日のことだが、そう滝口先生のオマージュを終わって会ったときのことは、今でも忘れない。

開口一番に私に向かって「悪いが、もうここには来るな。もう、君の勉強は終わりだ。私が生きているうちにすることは、済んだ。今度は、君の番だ。頑張って必ずやり遂げてくれ。君のその才能と意志なら、出来るよ。腹でしっかり思うことで、時代はついてくるものだし、いい作品作って伝えてくれ」

それから、もう何年たったか。

先生は、生き方を変えた。

私が、鈴木治先生のこと教えたときに、「そうか、それもいいな」

先生は、その通りではないが、まさにそれをして今生きている。

芸術家というか、腰に刀を差したサムライは刀を置いた。

約束は守るためにある。

だからこそ、この能登半島に来たのである。

今日は、もうここまでしか書けない。

凝縮された思い出ばかりがありすぎて、心が濡れてしまうからだ。

先生のことを書いた早坂先生の「華日記」

華道という道は、すばらしい。

これから、生まれてくる作品は何もないが、原点である。


中川幸夫
http://www.kyuryudo.co.jp/design/sagawa048/yukio_nakagawa.htm

守喜章 現在は守章でユニット活動をしている。
http://www.art-yuran.jp/2005/05/post_728f.html

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