


いろいろと定義づけはあるだろうが、実際に陶土は輪島市にはたくさんある。
耐火性の問題も特別ないし、ましてや焼くための原材料は豊富だし、何ゆえ広大な面積の土地があり、言うことなしである。
陶土については、ここでは詳しくは書きませんが、必ずあるということ、また磁器土のように耐火度がないこと、可塑性があること、カオリンもあるということなどなどがあげられる。
しかるに、この画像は以前に実験したものである。
この時の結果が、今回により活かされる事だけは間違いない。
全地下式は面白いが、リスクが大きい。
でも、昔ながらの良さはこうでないと出ない味がある。
補足的に書き足ししておこう。
陶土は、あくまでも自然なものである。
決して袋土ではない。
体外の作家は、袋土を使う。
別に悪いことはないだろうが、楽なのでがついてしまう。
破れかぶれでもいいから、どうなってもよいから、焼いてみたいからなんてことは、意外と少ない。
それは、歩止まりを気にしている人が多いからだ。
韓国に行って世界陶芸作家賞をいただいたときに、質問が多かったのが、「どうやったら、黒く焼けるんですか?」
私自身、黒く焼けることは普通にやっていたのだが、韓国の当時の歴史の中では出来ていたが、現代ではそうではないらしく、技術的な話をよくしたが、特別な理由や技法もなかったので、私自身かえって質問に適当な答えが用意できなかったことがある。
黒い原理は、幾通りかあるのだが、どれも適当に「焼く」という自然なキーワードから出来てくるもので、「こうしよう」とか「こうやったら」とか、相変わらずナントカ焼の法則に乗っ取って語られることはある意味大変難しいのだ。
私は、ナントカ焼がナントカしたに聞こえてしまうので、面白い。
輪島焼は、ナントカ焼ではない。
そう、珠洲焼も能登焼だろうが、なんでも良いのである。
その土地から、湧き出てくるエネルギーから産み出てくるピュアなモノである。
だから、本当は理屈は存在しない。
そこに土があって、そこに木があって、そこに窯があって、そこに愛情があって、そこに造る人があって、初めて出来上がるモノこそが、魅力というモノ造りになっていくのではないでしょうか?
輪島で焼いたら、輪島焼。
輪島で塗ったら、輪島塗。
ごくごく当たり前を追求していくことが、私の生き様である。
そうして、輪島焼は人々の手で成長していくことであろう。
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