半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

土曜日, 4月 14, 2007

焦熱明け



なんとか、病床から起き上がれた。
まあ、今回は本当にひどかった。
地震やら、インフルエンザ。
時間が許すかぎり次の作品のために構想をイメージしてることが多くいい時間を貰ったような気がする。
一昨日、再び河ヶ谷窯跡に行った。
たまたま田んぼをしていた初老のご夫婦に出会うことが出来た。
偶然だが、窯跡の目の前なので私はいろいろと話をした。

ここは、昔からミソヤ窯といい伝えがあったらしい。
これこそが珠洲やなんかよくわからない時代からずっとらしい。
まさに、口ぞえ。
それで、昔区画整理のときにたくさんの窯跡が出てきたが何も関係無しに壊したらしく。
かなりの窯が合ったと言っていた。
それに対して今回予算が付いたので、この発掘調査らしい。
だが、もっとあるらしいがやはりお金がもう出ないらしく今後の延期になったという。

ここで、歴史で見ていくとやはり韓国の匂いは消せないだろう。
海流に乗ってくるとここに自然と流れ着くという話だ。
まさに、高麗青磁の康津と良く似ている。
中国の竜泉窯の陶工が出てきたように、たぶんそうだろう。
なんか、本当に地球のサイズで起きている文化流は面白い。
同じことをしているのに、総てが一緒の感がある。
痛快に何千年人間がしていても、原則論は普遍である。
そのようにしていくと、大阪の陶邑とか神戸の神出なんかそうだろう。
いろいろとタイムラグはあるが、出来ているプロセスは良く似ている。
まさに、日本とか韓国の流通の歴史。
でも、仏教を中心に成り立っているので、なにも変わらない。
広めるための手段でもあり、象徴でもある。
大阪の陶邑は本当に勉強になった。
国が絡んでいたのもあったが、調査資料の膨大な量には大変驚いた。
これは、私が長年研究してきたので、できればいつか発表したいとおもっている。
このことは、歴史上も必要だが今後の芸術観にはとても需要である。
これからブログはそんなことも含めたことを書いていこうと思う。

焦熱地獄からの復活である。
本当にきつかった。

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