ある雑誌の写真である。
なんとも輪島塗で難しいのが、この合鹿である。
一説では、輪島塗ではないとか、商標問題とか、いわくつきでもある。
だがしかし、いろいろと見ていると、どうも原点的なものにはそのヒントがあった。
柳田村には、それがある。
しかし、たくさん見たところでどうも納得には至らない。
でもこうして、能登の食事を経験することによって、ふっと椀のカタチが見えてくる。
不思議と体がそれを造り始めている。
合鹿椀というのだろうか、それとも蔵垸家とでも言おうか。
蔵垸家は、「くらわんか」を自分の思う言葉のカタチに変えたものである。
昔、そういう名の付いた「倭島(わのしま)」が輪島らしい。
合鹿椀は、輪島塗の原点といわれる。
しかし、現存のカタチにその共通項は見えてこない。
だからこそ造り続けることが、必要な時期に輪島塗も来ているだろう。
そうやって、私の中で少しづつカタチは固まってきている。
作品は、出来て来るものであって、わざと何かが生まれてくるのではない。
いろんな苦しみや悩み、思考、行動、空間、勉学、食事、就寝、夢など、限定されるものではない。
合鹿椀を忠実に造っていけば、その先はやがて見えてくるだろう。
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