もしかしたら、思い出になる。
そんな出会いと時間を感じました。
いろんなことも人生はあるが、自分とはかけ離れた現実もある。
人間は釈迦と同じように、過ちをしては直すというものだと思っている。
この中に入ってから、いろんな話をしなくてもわかる空間と人がいた。
そのおかげで、やろうと言う気持ちとやっとという実感がありました。
望んでいたことは、やはり諦めた時に来るものである。
何が何でも生きてきた。
どうしても押し通しようのないこともあるが、ここまで歩いてきたことが、何かほっとしました。
ルオーのコーヒーを飲むと、すっと背筋が引き締まった。
サムライの志が、体に入ってきた。
理由はわからないが、果たしてそうかと思うこともある。
いわゆる勘違い、いえ本心、そんな迷走がある。
行ける道を歩くことで、何かが生れてくるのだろう。
最近、井上泰治監督という人が面白い。
そして、真剣であり、いい。
私もどんなことがあっても、最後にそう言われたいと思い始めている。
生きているうちの評価とは、なんであろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿