個展が始まった。さまざまな流れといろんなモノが結果として出た。
きっと、本当に能登半島に来てからも、そして岡山にいた時の日々造ることをひたむきに努力したからかもしれないが、当たり前ではない感動があった。
私の造る行為と生きる行為が、まったく重なりあわなかったのだが、今は上手くそれがスパイラルしている。これだけ造ることに考え、将来も考えていたのは、なかったと思う。
失敗も多いが、仕事や作品はなんとか付いて来てくれている。
本当に有り難いことだ。
でも、日々の中にいろんな発見もあるし、本を読んでいても、波の花を見たり、美味しいモノを頂いたり、毎日一生懸命生きることに必死である。時代背景も手伝って、本当に作家というものが、生きていきにくい世の中になった。
だからこそ、今が大事であり、スタートとしては最高でもある。
今頃東京に…
そう、口添えて言われている。
でも、ある一方では確かに今しかないとも…
しかし、私は長年東京で個展を控えていたのも、ちゃんとした理由がある。
それに、韓国の個展もそうだった。
あの時なんかは、最高に大反対。
しかし、渡辺香津美さんや谷川公子さん、それにデザイナーの高木さん、弘益大学教授の李仁鎭さんなどは、頑張ってほしいと言ってくれた。
そして、会場に来てくれた。ソウルまで…
遠路でもあったが、来てもらってくれたことは、一生の思い出になった。
会場の作品は、韓国の美術館、財閥など、本当にジャンル広いお客様で埋め尽くされ、ほとんど持っていった作品は完売した。
まさに、不思議だった。
箱書きもないし、陶歴こそ、英訳と韓国語。
準備に一年。
そのおかげもあって、世界陶芸作家賞も頂いた。
自然に道は広がった。
でも、こうしてそれから十年以上も時間がたった。
それは、まさに結果として現れた。
今がとても楽しい。
また、感謝の念が尽きない。
東京でして良かった。
中川幸夫先生は来てもらえないが、それでも私に掛け替えのない人というか先生である。
いろんなことを教わった。
これからもっといい作品を作りたい。
モノづくりとしても、ツクルとウルを手伝いたいし、成功させたい。
オフィシャルにとらえることが、何よりも作家として人間として、必要であり、学びながら育てていくことではないだろうか。
素材感。
造ること。
デザイン力。
渡ること。
パフォーマンス。
そして、最後まで…
アフターケア。
すべて必要であり、日本人の手仕事として、いいモノを残していきたい。
物悲しいのではなく、心温まり人を大事にしたモノ志向。
きっとそんな時代が来ている。
でも、造り手は何も考えなくなり、時代が疲弊しているから、余計に売ることだけを先行させてしまっている。
心を失い、自分を見失い、売れるモノづくりは到底出来ない。
自然の中に生きることを考え、すべてを大事にしていきたい。
人、自然、素材。言葉。
いろんなことが絶対に必要である。
能登半島に住んで生きているから、それが体と付き合う人たちのおかげで、わかってきた。
岡山では気がつかなかった、人としての基本が…
たぶん、語れない何かがあったが、今はこうして教えてもらっている。
だから、人の思いを大事にしていきたい。
モノやお金ではなく、生きていく人の心。
民藝と言おうか、それとも…
釈迦の説法か。
東京で個展したことは、私には座禅なのだ。
遠く観えている新しい工芸の世界。
本来あった日本人の職人。
職感。
そう造り手の手の感覚が、使う人にも伝わってくる。
手を抜かずに残したいモノがある。
だから、止めれないモノづくり。
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