塩田村に行くと、こんなにいい景色があった。
こうして見ると、本当に奥能登の良さが醸し出されている。
きっと、これから何十年変わらぬシーンであり、造ろうと思っても出来ないものであり、こんな風景があるから、生きて行ける自分がいるのだ。
たぶん、ここに来る前の来てからも、心の迷いが生じないのも、そのものなのだ。
大声で叫んでも、何も還らない自然の力がここにはある。
この存在が、今の何もない私の生き様を飲みこんでくれる。
明日、今、どうなるか。
塩田村のしおサイダーは好調なようだ。
やはり、いいモノづくりに向かっていける魂は、何にも変えられない。
時間は止まっている。
しかし、歴史は刻み、追い立てられるように年月が過ぎていく。
最近、無蓋なる思いが何か込み上げてくる。
不思議な気持である。
波の花は、厳しい自然とは別に優しくも、温かくも感じられる。
こうして、能登の冬はやってきたのだ。
寒いが、美しい。
そして、無蓋であるのが楽しい。
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