半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

土曜日, 11月 28, 2009

能登半島は、やっぱり・・・


この海を見て四年が過ぎましたね。

能登半島というところによって、いろんな事が展開を変えてきました。

思いもよらぬことの方が多く、なんでも思うがままに進め、ビクトリーしたと思って進んできた四十年とは違い、この地に来てからは、陶道、芸道ではなく、あることを受け入れ歩くという、不可思議でそれでいて夢の現実が囚われる生きる道があったと思えるようになったのは、今頃でしょうか。。。

輪島の海も、珠洲の海も、外浦というところに向かった海岸には、どこに行っても神秘がある。

怖いのか、日本海らしいともいうが、黄泉の国なる風景に似たモノがあった。

島根県に居た時に、よく日御碕神社から半島をぐるっと回ったものだ。

松江のからころ広場で、中華食べたり、おでん屋いったり、出雲そばたべたり、雪の中に簸上正宗の一升瓶を突き刺して村下の木原さんとか刀匠たちと飲みながら、たたら製鉄手伝ったり、本当にいい思い出がある。
たしかに、早いことをしたと言われながらも、突き通していた時分が、今は懐かしい。

この海を見ると、過去の風景を写しだしてくる。

後悔もあるし、喜びも、悲しみも、笑いも、人間の五感、第六感のすべてのセンスが、この能登半島に来てからは、何かしら回想することがある。

夢なのか、現実なのか、いつも分からなくなる時がある。

過去を忘れてたいのでも、現実を見たくないのでもない。

歩くべき道、進むべき道をひたすら迷わずに歩き続けることで、自分の生きる実感も血や肉も、すべてがスパイラルしている。

人より波も谷も多いが、まるで小堀遠州の作った青海波の刈りこみのように、痛くも、優しくも、雄大に、生え続ける心の稜線が、確かに刻み込まれている。

非情と言われながらも、決断し続けてきた若かりし頃の深い傷は、この半島に来てからは、なにかしら溶かしてくれたり、溶けてしまうので、本当にこの海の中に揉まれ、海の彼方の黄泉へとへつらっている。

思いと言う魂があるならば、この地で土に還ってからも、再び蘇るであろう心の黄金分割が、生きている今のうちにやり残さずに、次の人生に持っていくことのないように、生きて行ければと思うが、生身の人間の弱さも強さがあるから、簡単にも、難しくもあり、姿カタチはかわれど、私だと思えるから作り続けるために努力していると深く詠み茂る。

「これでいいのか」
「誰にも任せられない」
「生きて恥をさらすか」

モノづくりという言葉だけが、宙に浮くのは、未だ自分に確信がないだろうか。

今を、明日を、そして消えた過去を大事にして行きたいから、モノづくりだけが出来ない生き様を恥じることなく歩んでいます。

モノが生まれ、型や血ではなく、カタチにこだわり続けて来たから、今生きている自分のスガタを精一杯生きる。

「私は、土を持って戦い続けます」

この半島から…

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