半陶 輪島焼 能登ノ國で 土に還る土を探し求める日々

火曜日, 8月 11, 2009

半陶




気がつけば、もう能登半島に来て、三年が過ぎ、四年目になろうとしている。
きっと、運命があるならば、このまま頑張って行こうとしている。
いろんな人の世話になり、世話をして来た。
たくさんの人の輪が出来た。
そして、能登という街に住み慣れた。
いろんな能登の海、山、田圃も、見てきた。
そうして、半陶という言葉も生まれた。
ここから、どうして頑張ろうか。
能登のためになることとは。。。
私も走り続けてきた人生は、今少し曲調が変わろうとしている。
しからば、何ゆえに難が降りかかるのか。
とても、不思議な人生だ。
周りには、とても迷惑をかけている。
しかし、数奇な運命は非常に観えない。
でも、何かに助けられ、生かされている。
ただただ、モノを作るということに専念しているのだが。
どうも、それがとても剥ぐわしい。
制作概念とやらも、そろそろ転換の時期が来ているようだし。
思いっきりたくさん作って、たくさん焼いて観たい。
泥をテーマに生きてきたから、いろんな泥の姿を見せたい。
心なしか、活力というか、芸術という原動的なエンジンが動き出している。
何の御蔭かはわかっている。
そう、私を信じて来てくれている人がいるからだ。
動きを止めてきた分、少しいろいろとあったが、仕方がない部分でもあった。
そして、人生の厄年も終わる。
結構、苦しくも楽しくもあった時期でもあった。
なかなか忘れられない時間。
「半ば陶芸をする」
半農半陶でもあるが、半芸半陶なのかもしれない。
生まれさす仕事は、芸術なのだ。
まさに、岡本太郎の芸術は爆発だとは言っていたが、何かよくわかる気がします。
私も、長い時間充電していたので、動きだすと早いのと、造るスピードも速い。
さて、本当に半陶をしないといけない時期も来たのであろうか。
言いすぎるから、言われるとも言うが、言えるから言うのであって、中川一政先生の言うように、言いたいことは言うのであって、自分にプレッシャーをかけつつも、生み出し、逆転させるのが、芸術という魂なのである。
真価を問われる時期も、近くなりだした。
いい作品、いい仕事、いい人生を送り続けたい。
生きるから、死ぬのであって、死にたいから、生きるのではない。
全身火傷、大事故、不当な事件、心ない踏みつぶしなど、超えてきた壁。
しかし、生きているのも事実。
生き残るのも自由。
「何があっても、自分に負けたくない。人を信じて生きたい」
答えというか、半陶の中にある意味は深いものがある。
手を抜かない仕事が楽しい。

だから、今日もひたすら造り続けている。

今の仕事場は、今までの中で最高の仕事場である。






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